なんのその

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「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。(箴言18章14節)」

この「病苦」は、アラム語で「コロナ」だと、youtube の「懸けはシオン」の担当のアリさんが言っています。世界中が、コロナで苦しんでいて、なにか忍耐に限界を感じていて、自粛の思いが、プッツンと切れてしまいそうです。

でも「人の心はコロナを忍ぶ」ことができると言っています。問題なのは、「ひしがれた心」だと言っています。英欽定訳ですと“ a wounded spirit ” 、文語訳ですと「心の傷める時」、中国語訳ですと「心灵忧伤」とあります。

どう思い、どう感じ、どう対処ていくかが問題なのかも知れません。生まれて今日まで生きてきて、このコロナ騒動が、世界中の人々の心を揺るがす様な、こんあ事態は初めてのことです。件のワクチンが、〈遺伝子操作〉をすると聞いて、私は、受けるかどうかを躊躇しています。

そんな風に、心が揺れているのですが、今日は「立夏」です。『夏の気配を感じられる!』という意味なのです。暑いし、台風や大雨はあるし、大変な季節なのに、夏好きな私は、心が沸き立つ思いがしています。麦わら帽子を被り、かき氷やスイカや川泳ぎや海水浴をして過ごした夏だからです。

井戸に、紐でしばってつるさげた西瓜を落としてしまったことがありました。ポンプで汲み上げた、その井戸の水は、美味しかったのです。この街中を散歩していますと、そのポンプを、そのまま残している庭が、あちこちにあります。きっと〈呼び水〉をすると使える、《現役》なのかも知れません。
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いつも、自分では《遊びともだち》だと、私たちを思っていてくれるお嬢さんが、昨日も遊びに来てくれて、万葉に詠まれた「みかも(三毳)山公園」に、この子のお母さんと一緒に、四人で出掛けたのです。

下野の三毳の山の小楢(こなら)のすまぐはし児ろは誰が笥(たがけ)か持たむ
〔下野の三毳山のコナラの木のようにかわいらしい娘は、だれのお椀を持つのかな(だれと結婚するのかな)〕

二人かけの座席に四人で座って、密の「フラワートレイン」で、山腹を登って行きました。まるで童心が帰ってきた様で、楽しい一日でした。コロナを追い払う様で、同乗の子どもたちも、その道を歩いている子どもたちも、ニコニコと若葉の間に火の光を感じて、喜びが弾けていました。

みんな《躍動する夏》の気配を感じて嬉しそうでした。『こんなでいいのかな?』の想いを吹き払って、まさに《コロナなんのその》で、「ひしがれた心」が吹き飛んでいった一日でした。

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