読むべきは聖書

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 人類は、たくさんの本を著し、グーテンベルクが印刷機を発明する以前、7、8世紀頃に、中国で木版印刷が行われていたそうです。印刷技術も進み、現在では数えきれない書物があります。今日も、栃木市立図書館に行き、貸し出しを受けてきました。収まりきれない本を、無料で配布する日もあったりで、更なる新刊の発行で、書架はパンク寸前なのだそうです。

 図書館の書庫の匂いが、何か知的な匂いがして、無知な私は、その匂いを嗅いでいることで、知的にされた錯覚に陥るのが好きで、どの街に住んでも、図書館通いをしてきました。  

 残念なことに私の蔵書は、処分されてしまいました。古書を買って、本のページの間に「500円札」を見つけ、そのままポケットに入れることができず、古書店にお伺いを立てたことがありました。『よろしいんじゃないですか、いただいて!』と言われた本も、500円と一緒になくなってしまいました。もう一度読みたい本が多くあったのですが。これを「後の祭り」と言うのでしょう。人生は甘くないな、と学んだ次第です。

 母が、学校に入学するにあたって、贈ってくれたのが、革で装丁された「聖書」でした。協会訳で口語で書かれたものだったのでした。ブラジルに義母を訪ねた折に、刊行月日を確かめませんでしたが、古びた「文語訳聖書」を譲り受けたのです。それもあれも失ったのですが、今は、「新改訳聖書」を使っています。アポクリファーや外典の入ったものは、信仰上の理由で読みたいと思いませんで、手にしたこともありません。

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 聖書の学びで、よく開いた「英欽定訳聖書」や「語句索引付・欽定訳聖書」、在華時に入手した「中国語訳聖書」、日本人の友人からいただいた「ピンイン漢語聖書」などが手元にあります。今では、ネット配信があって、諸言語で翻訳された聖書を読むことができます。内村鑑三は、「読むべきは聖書である」と言う一文を書き残しています。

 『小説ではない、政論ではない、然(しか)り、神学ではない、聖書其物(そのもの)である、神の言(ことば)にして我(わ)が霊魂の声なる聖書である、聖書は最も興味深き最も解(げ)し易(やす)き書である、世々の磐(いわ)より流れ出(い)づる玉の如(ごと)き清水である、之(これ)を哲学的に解釈せんとせず、之を教会の書として読まず、神が直接に霊魂に告げ給(たま)ふ言(ことば)として読んで、聖書は其(その)最も明瞭(めいりょう)なる意味を我等(われら)に供給する、我等はすべての物を読むのを止めても、然(しか)り、時々すべての物を読むを止めて、一意専心聖書を読んで之をして我等の霊魂を活(い)き復(かえ)らしむべきである。』

 それは、「教会の書」や「哲学書」ではなく、「霊魂に告げたもう言」だと断じます。私は、同志社を起こした新島襄が、漢訳聖書の「起初神創造天地。 」の巻頭を読んで、『神が居られるなら、この方こそ神である!』と思ったと言う告白を読んで、然りと思いました。村や町に、祀られている様な神々でない、真実の神を意識したのです。その生涯を、この一書に支えられ、青年教育に費やして、46歳で帰天しています。

 この聖書の最後には、次の様に書かれて、終わっています。

 『私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。(ヨハネの黙示録221821節)』

(上はグーテンベルクが印刷した「ドイツ語訳聖書」です)

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