立派

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 日本占領下の韓国の大邱市(テグ)の大邱中学校に、梅原圭一という若い英語教師がおられました。東京高等師範(現在の筑波大学です)を出立てで、学生にとても人気のあった教師でした。ある日の授業で、一人の学生が黒板に、悪戯書きをしたのです。梅原先生は、その日も足取り軽く教室に入って来ました。それを見た先生は震えて、『僕が君たちに何か悪いことをしたのか・・・』と言って、教室から出て行き、二度とこの学校に戻りませんでした。1942年のことでした。

 この悪戯書きは、先生が朝鮮籍で「崔(チェ/さい)」という名であることをからかう内容でした。こう言ったことは、朝鮮半島や中国大陸に住む人や出身者に、占領下でも、今でも、日本人がよくしてきたことなのです。そう言ったことが、《反日》の背後に、占領や侵略以外にあったことを、現在の私たちは知っておかなければなりません。この梅原先生は、旧満州の学校で学び直され、戦後は韓国の政界で活躍されたのです。

 後に、首相をされ、朴正熙大統領が暗殺された時に、大統領代理をし、後に第10代の大韓民国大統領にもなっておられます。ただ厳しい政変のある国情ですから、一年に満たない在任期間で退陣されています。ところが歴代大統領の中では、最も評価の高い方なのだそうです。どうしてかと言いますと、醜聞(しゅうぶん)が皆無だと言われています。

 東アジアは、人脈や派閥などの強い社会でして、ある人が指導の地位に着くと、親戚縁者や友人や縁故のある人々が、その人の周りに群がって来て、「役得」に預かる傾向が強いのです。ところが崔圭夏大統領は、そう言ったものから遠ざかっておられ、まったくの清廉潔白(せいれんけっぱく)な人でした。奥さまが病弱でしたので、どんなに重い責務や政務を負っていても、常に妻に寄り添う夫であったそうです。立派な方でした。

 1974年の8月に、世界中から、百万人もの基督者が集まる大会があって、韓国のソウルを訪ねた時に、一人の青年が、私が日本人であることを知りながら、『あなたのバス代を払わしてください!』と話しかけてくれたのです。英語ででした。驚いたのですが、大会の会場の近くのバス停で降りた時に、その好意を私は感謝して受けたのです。同級生にも、同僚にも、家の近くの会社に出向されて来ていた人も、朝鮮半島の出身の方が何人もおいででした。みなさん、驚くほど紳士淑女だったのです。

 遠い昔からの隣国同士、隣人同士です。たくさんの教えを受けた歴史があります。中には、『豊臣秀吉を憎んでいます!』とはっきり、日韓の歴史を知った上で、私に話された方もいました。でも、私に対しては何の悪感情も持っていなかったのです。そんなことを思い出して、より良い関係を回復したいと、切に願っているのです。同級生が、卒業式に「シマチョゴリ」で正装して出席していました。彼女は、自分の民族性を、隠さずに表明したのです。実に綺麗でした。

 

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