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5月24日、朝四時半過ぎ、西の空から赤い太陽が昇ってきたところです。今日は、上の息子の「誕生日」なのです。献身し、アメリカ人宣教師に従って、開拓伝道の手伝いするために、その3月に学校を辞め、教会に来ておられる方の鉄工場で、溶接の手伝いや、溶鉱炉の焼却部分の取り替え作業の手伝いをし、上のお嬢さんの家庭教師をしながら、家内と私は、息子の誕生を待っていました。
生き方を変えたのは、確かに自分の決心と、家内の同意、宣教師の招きがありましたが、「出て行き・・・なさい」との、主の促しがあったからでした。息子もまた、同じ様に献身し、主と教会に仕えて生き始めまたのです。親バカで、子を褒める親の私は、お金や名誉のためでない職業選択をし、それを天職として、今の責任を果たしていることを感謝しているのです。
闘病中の家内の通院のために、大きな犠牲を払って、ほぼ毎回、送り迎えをしてくれています。今は6週毎の通院になりましたが、初めのうちは頻繁に通院がありましたが、送り出してくれた嫁御や孫たちにも、家内と二人で感謝しているのです。
この息子の手伝いは、家内には、最高の「良薬」となっているのです。姉たちや弟からは、『お兄ちゃんありがとう!』の感謝もあります。
もう『四十にして迷わず、五十にして天命を知る。』と言われた年齢になろうとしています。《今なすべきは何か》を心得て、教会に仕えて生きている姿に、実に素晴らしい生き方を見て、母と父である私たちは感謝しています。主の祝福を祈った朝であります。
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