歴史に学ぶ

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 戦時下、男の子を3人(弟は戦後の生まれです)を産んだ母は、さながら、表彰されるほどの「軍国の母」であって、私たちは「天皇の赤子(せきし)」として、その誕生を祝福されたのではないかと思うのです。なぜなら3人は、兵士として国に仕えることができたからです。私たちが生まれたのは、戦局が拡大し、抜き差しならない敗色濃い状況下で、軍備の増強もならない、戦局の異常なほどの拡大の中、随分と無茶な戦いをしていた時代でした。

 それは日本だけのことではありませんでした。人類史上、あれほどの憎悪を、一民族に向けて放ち、それを絶滅させようとした、ナチス・ドイツのしたことも、驚くべきことでした。第一次大戦で負けたドイツは、ゲルマン民族の誇りも砕かれ、想像を絶する戦争責任を要求され、極度のインフレの経済危機に見舞われていました。そこに、「ナチス(国家社会主義ドイツ労働党)」が台頭し、政権を握ったのです。反ユダヤ主義、反共産主義を掲げていました。

 まるで悪魔がかったヒトラーの劣等感や被害妄想に裏打ちした国家統治と隣国侵略は、だれもやめさせられませんでした。私たちが歴史を学ばなければならないのは、二度と同じ過ちを犯さないためです。正しい目で、歴史の中に起こった事実を見直す必要があるからだと、今も思われています。

 ドイツ人の優秀性を誇示した彼らは、熱狂的な支持をドイツ国民から受けたのです。戦争が終わって、ある秘密が露わにされています。ヒトラーに次ぐ立場を持っていたヒムラーは、優秀で純血なドイツ国家を作るために、「Lebensborn(レーベンスボルン/生命の泉協会)」の立て上げを提言して、受け入れられ、それを実行したのです。「Aryan(アーリア人)」による国家建設を目論み、白人の未婚女性を母親に、ナチスの優秀な将校を父とする出産計画を立て上げ、実行します。

 その結果、実数は確かではありませんが、10万人もの「ナチスの子どもたち」が誕生したと言われているのです。国家的意図で生まれてきた子どもたちの悲劇は、想像に絶します。命の分野に、人が立ち入ってしまう時、悲劇が起きてしまいます。ユダヤ人を殺戮したことと、アーリアンの子どもたちを産んだことは、彼らの犯した重大な犯罪でした。だからでしょうか、ナチス支配に鉄槌が降って、終わったのです。

 私は、高校の時にハンドボールをしました。この球技の誕生は、諸説ありますが、その一説は、ドイツ人女性の体を強くし、丈夫な子を生む母体を作るために考え出された種目だと聞いています。それにナチスの目論見に近いものを感じますが、1936年のオリンピック、ベルリン大会の競技種目になっているのです。

 また、戦時下で、三国同盟に加盟した日本、日本人は、ヒトラーによって「名誉アーリア人」だと認定されたのです。鼻が低くて、ちっと歯の出加減の私を見て、だれも「アーリア人」だなんて、私に向かって言ってくれた人はありませんでした。戦時下の異常な時代に誕生した私には、戦後、自分がだれであるかを見出せないまま生きてきた、同世代の「ヒトラーの子どもたち」が、いつも気になっていたのです。

 戦争の悲劇、人の野望の結末というのに、今さながら驚かされます。朝鮮戦争で孤児になった少女が、猫の様に肥大化したネズミに襲われて、仲間が死んでいく様子を見ながら、恐怖と飢えと逃走の中を生き抜いた女性がいました。アメリカ人宣教師に救出され、愛ある家庭で育ち、私の知人の宣教師の息子さんの奥さまになっておられる女性から、そのお話を聞いたことがありました。

 この時代に生きる私たちが切望することは、「平和」です。少なくとも、一人一人に人の心の中に、「平安」が宿ることです。どんな状況の下にあっても、人の心の中には、武器を持った兵隊が入り込んでくることはできないからです。歴史を支配される《神との平和》のことであります。

 

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