先週金曜日の朝、中国からお見舞いに来てくださったご婦人たちを、東武線栃木駅で見送りをしました。改札口に入る前に、握手して別れをしたのです。スーツケースを一つず持って、改札を入って行き、エスカレーターで、階上のホームに上がって行かれました。
『振り返るかな、振り返らないかな?』、『振り返ったら、もう一度手を振ろう!』と思って眺めていました。でも振り返りませんでした。先日、次兄と弟を駅に、同じように見送った時には、改札で握手した後、同じホームに上がるまで、三度も振り返ったのと違っていました。感情的にも礼儀的にも、日本人と全く変わらないお二人ですが、この辺が違うようです。
中部圏の山岳の街にあった、私たちの事務所には、よくアメリカからお客さんがありました。親しく数日を過ごして、一緒に来られた方の車で帰って行かれたのです。車に乗る前に、握手をしたり、ハグをしたりして別れ、乗車するのですが、彼らは、その後、決して振り返りませんでした。それにひきかえ、私たちは、車が見えなくなるまで、見送っていたのです。
物をいただくと、『こんなに結構なものを頂戴してありがとうございます!』と感謝を言い表し、次に会うまで、『今度お会いしたら、もう一度感謝の気持ちを言わなくちゃ!』と決めて、会うと『先日は美味しい物をいただきまして・・・』と、再び感謝を言ったりします。ところが、中国のみなさんは、一、二の例外はありますが、一度感謝を言ったら、二度は言わないのです。彼らと私たちとは何かが違うようです。
日本人は、〈過去に拘泥(こうでい)〉するのでしょうか。過去を振り返らないと、先に進めないからなのかも知れません。それにひきかえて、欧米や中国の人たちは、〈未来志向〉で、先に目を向けて生きているのかも知れません。
感謝や挨拶のないこともありますが、何ヶ月も何年も経ってから、大きな感謝とお礼を、中国の方から言われた方の話を聞いたことがあります。経済力がなくて、何もできないまま時が過ぎて、ある時、感謝できる時がやってくると、大きな感謝をする、と言う話です。無礼や忘れているのではなく、感謝の思いを、長年持ち続けていたわけです。
『振り返ってほしい!』と願うセンチメンタルな、または甘えた気持ちは強くて、そうしてもらわないと、残念だったり、味気なかったり、つまらなかったりしてしまう自分がいるのに気付いて、『やっぱり日本人!』だと思ってしまいます。「伊豆の踊子」に、そんな件(くだり)がありましたね。
(浅草と鬼怒川をつなぐ「東武特急きぬ」です)
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