牧歌舞伎

 

 

東京・銀座四丁目の「歌舞伎座」には出掛けたことのない私は、初めての歌舞伎の観劇は、長野県の大鹿村で行われて来た、「大鹿歌舞伎」でした。その年の春の出し物は、「菅原伝授手習鑑」でした。1767(明和4)年に上演された記録が残る「地芝居」で、徳川幕府は上演をご法度にしていたのですが、御法度破りで継承されて来た、「農村歌舞伎」なのだそうです。

江戸の末期になりますが、栃木市の隣町の「佐野市」にも、この「地芝居」の、農村歌舞伎が残されています。次のように、「佐野の祭り」の案内にあります。

『栃木県佐野市北部の牧地区に伝わった「牧歌舞伎」は、江戸時代から現在まで受け継がれている地芝居です。江戸時代後期に江戸の歌舞伎役者・関三十郎により伝えられたのが始まりとされており、現在も「牧歌舞伎保存会」による公演活動が行われています。

かつては各地で地芝居が行われており、栃木県内でも明治期には24か所で行われていましたが、今では「地芝居」としての歌舞伎は栃木県内ではここしかありません。昭和35年に栃木県重要無形文化財の指定を受け、昭和52年に「栃木県無形民俗文化財」に指定変更されています。

「牧歌舞伎」は江戸の昔から佐野市北部の葛生町牧地区において地域の住民によって伝承されてきました。牧歌舞伎は後継者不足で一時中断していた時期もありましたが、昭和56(1981)年に当時の青年団が「牧歌舞伎保存会」結成し見事に復活しました。

保存会の皆さんは地元の自営業者や会社員、商工会職員などで、仕事をするかたわら、芝居の稽古に励んでいます。近年は2年に一度稽古の成果を地元の牧地区で披露しています。最近はこの定期公演の他、佐野の祭りや行事の際に臨時公演なども行われています。また、平成23(2011)年10月9日には「牧歌舞伎保存会結成30周年」の記念公演が、「葛生あくとプラザ」において開催されました。』

娯楽のほとんどない農村にも、江戸期には、文化の息吹がふき、素人の演出と出演で農閑期に楽しんだのでしょう。私の小学校時代、旅回りの芝居が、神社の境内で小屋掛けしていて、観た覚えがあります。出店で食べ物を買って、口にしながら観たのです。

カーバイド“と水によって発生するガスの「アセチレン」を燃やして明りにした匂いが、懐かしく漂って来そうです。江戸期には松明(たいまつ)だったのでしょうね。

(「牧歌舞伎」の一幕です)

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