ここ栃木県は、律令制の下で、「下野(しもつけ)」と呼ばれました。これは難読地名の一つです。「上野」ですが、西郷像や動物園や集団就職などで、名を馳せたのは「うえの」、群馬県を「こうずけ」と呼んでいました。そこは「上毛(じょうもう)」と言う別称もあります。これを「こうげ」と呼ぶ地名も福岡県にあります。
千葉県市川市周辺を「下総(しもうさ)」と呼び、千葉県市原市周辺を「上総(かずさ)」と呼んでいました。地名と言うのは、ややっこしいもので、正確に読むのは至難のわざです。
関東周辺の五県以外に住んだことがないので、日本全体の地名には、私は疎いのですが、「福生(ふっさ)」とか「青梅(おうめ)」と言う地名は知っています。栃木県下に、「小山(おやま)」とか「足利(あしかが)」と言う街がありますが、これもまた正確に読むのは難しいにちがいありません。
川上、上川、中川、下川、川下と言った地名、そこに住む人の苗字があります。結局、人の姓と言うのは、多くの場合、地名に基づいて、明治以降の苗字になったようです。しかも納税や兵役に就くのに、姓が必要になったと言う、行政上の実際的な必要があって決められたわけです。
元々は、「和今泉」だったのが、いつの間にか「今泉」と姓が変わってしまうこともあったようです。『いいな!」と思った苗字は、「武者小路」、「長曾我部(ちょうそかべ)」でした。若い頃に会った方が、「四郎兵衛(ひろうのひょうえ)」と言う名でした。これも自分だったら「三郎兵衛」かななどと思って見たりしたものです。
北欧や移民先のアメリカ合衆国には、“Johnson ”,“Jackson”,“Michaelson ”と言った、〈誰々の息子」と言った苗字があるのが面白いと思ったことがあります。“Smifth”は、〈鍛冶屋〉のことでしたが、後に〈職人〉のことなのだそうです。「鍛冶師(blacksmith)や金細工師(goldsmith)、銀細工師(silversmith)、スズ細工師(tinsmith)、ブリキ職人(whitesmith)等、特に金属加工の職人を示すのだそうです。
私の苗字は、母方のもので、父は、自分の先祖伝来の姓に拘らなかったのでしょうか。歴史上の人物に、私は好意を寄せていて、その方の姓を、“Penname ”に使ったことがあります。でも、ある時、その苗字で呼ばれて、まったく気付かなかったので、『こりゃあダメだ!』と苦笑いをしてしまったのです。
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