同窓会

 

 

わが家に出入りする可愛い女の子がいます。友人で大家さん夫妻の息子さんのお嬢さんで、お母様と一緒に、時々やって来るのです。月初めの結婚記念日には、真っ赤なバラの花を一輪、入院していた家内に、お祝いだと言ってくださったのです。その他にも、お絵描きをしては、それを見舞いに行く私に託してくれました。

退院して来て、昨日の朝、家内と久しぶりに、〈いーちゃん〉が会ったのです。チラチラと視線を送るのですが、何度も会ってきたのですが、誰だか分からなかったのか、はっきりしなかったのか、それでも、『おはよう!』と家内には挨拶をしていました。

しばらくして、家内が造花のバラを持って、『これありがとう!』と、今までしていたマスクを外して彼女に話したら、『おかえり!』と言ったのです。曖昧なうちには言いえなかった「ことば」が、彼女の口から出てきたのです。その「ことば」を聞いた家内は大喜びをしていました。

500グラムほどの早産で、妊婦だったお母さまも体調不良で、お二人とも生死の境を通られたのですが、獨協医科大学病院の医療スタッフの懸命の治療で、お母さまは快復され、いーちゃんも長く保育器の中で過ごし、今では幼稚園の年中なのです。

実に賢くて、男の子のような笑をし、時々、おいたをしては、お母さまに叱られて、好い子に成長しておいでです。《ウンパー(お爺ちゃんのこと)》が、同じ病院の整形外科病棟に入院中なのです。彼女は週末には、そこにお見舞いに行ったそうです。友人は、10年前の肩の怪我でボルトを入れていたのを外して、人工関節を入れる手術を終え、快復中なのです。

ですから、快復したお二人と、入院中で不在の《ウンパー》と、退院1週間で快復途上の家内と、昨日は、まるで「獨協医大病院同窓会」のようでした。昨日は、わが家の上空を、救急患者を運ぶのでしょう、獨協医大病院の《ドクターヘリ》が、低空で航行しているのが見えました。縦横に働きを展開している《ヘリ》です。

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地名人名

 

 

ここ栃木県は、律令制の下で、「下野(しもつけ)」と呼ばれました。これは難読地名の一つです。「上野」ですが、西郷像や動物園や集団就職などで、名を馳せたのは「うえの」、群馬県を「こうずけ」と呼んでいました。そこは「上毛(じょうもう)」と言う別称もあります。これを「こうげ」と呼ぶ地名も福岡県にあります。

千葉県市川市周辺を「下総(しもうさ)」と呼び、千葉県市原市周辺を「上総(かずさ)」と呼んでいました。地名と言うのは、ややっこしいもので、正確に読むのは至難のわざです。

関東周辺の五県以外に住んだことがないので、日本全体の地名には、私は疎いのですが、「福生(ふっさ)」とか「青梅(おうめ)」と言う地名は知っています。栃木県下に、「小山(おやま)」とか「足利(あしかが)」と言う街がありますが、これもまた正確に読むのは難しいにちがいありません。

川上、上川、中川、下川、川下と言った地名、そこに住む人の苗字があります。結局、人の姓と言うのは、多くの場合、地名に基づいて、明治以降の苗字になったようです。しかも納税や兵役に就くのに、姓が必要になったと言う、行政上の実際的な必要があって決められたわけです。

元々は、「和今泉」だったのが、いつの間にか「今泉」と姓が変わってしまうこともあったようです。『いいな!」と思った苗字は、「武者小路」、「長曾我部(ちょうそかべ)」でした。若い頃に会った方が、「四郎兵衛(ひろうのひょうえ)」と言う名でした。これも自分だったら「三郎兵衛」かななどと思って見たりしたものです。

北欧や移民先のアメリカ合衆国には、“Johnson ”,“Jackson”,“Michaelson ”と言った、〈誰々の息子」と言った苗字があるのが面白いと思ったことがあります。“Smifth”は、〈鍛冶屋〉のことでしたが、後に〈職人〉のことなのだそうです。「鍛冶師(blacksmith)や金細工師(goldsmith)、銀細工師(silversmith)、スズ細工師(tinsmith)、ブリキ職人(whitesmith)等、特に金属加工の職人を示すのだそうです。

私の苗字は、母方のもので、父は、自分の先祖伝来の姓に拘らなかったのでしょうか。歴史上の人物に、私は好意を寄せていて、その方の姓を、“Penname ”に使ったことがあります。でも、ある時、その苗字で呼ばれて、まったく気付かなかったので、『こりゃあダメだ!』と苦笑いをしてしまったのです。

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