天敵

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蚊に刺されやすい性(たち)の私は、もう5月には、蚊帳の中で寝始めているのです。それで<天敵>から身を守って、安眠を確保しています。今使っているのは三代目の蚊帳で、釣るのではなく、形状記憶の鋼線に、網目の蚊帳の生地がつけられていて、一瞬にして開くような形状なのです。折りたたみも簡単にできる優れ物です。

父の家には、昔ながらの青緑の蚊帳が、まさに"釣られて"ありました。母が布団を敷いてくれ、四隅の鴨居の金具に、蚊帳の架け紐をかけてくれるのです。入る時に、パサパサと蚊帳の裾を払うのですが、みんながしていていた、あの仕草が懐かしくてなりません。今使用中の物は、ジッパーで開閉しますから、ズボンを履く様で、ちょっと情緒はありません。

垂乳根の 母が釣りたる 青蚊帳を すがしといねつ たるみたれども 長岡 節

この短歌の作者の長岡節は、36才で夭逝した、アララギ派の歌人で、小説家でもありました。農民文学の傑作と言われる『土』を著しています。この歌は、病んだ彼が、帰った故郷の生家で詠んだものなのでしょう。息子のために、蚊帳を釣ってくれた母親が詠み込まれています。きっと優しいお母さんだったのでしょう。ちょっと蚊帳に、張りがなくて、たるんでいるのが微笑ましいですね。中学の「国語」の教科書に、この方の「土」が載っていて、学んだ覚えがあります。

今夏は、<天敵>も"強面(こわもて)"で、蚊帳から出ると、すぐに刺されるのです。窓には、全て網戸があるのに、どこから侵入して来るのでしょうか。長塚節が詠んだ「すがしといねつ」、"気持ち好く眠れる"ためには、蚊取線香と"ムヒ(痒み止め剤 "も欠かせないのです。ところが、同じ物を食べたり飲んだりして、共に生活している家内は、ほとんど刺されないでいるのです。

先日、残り少なくなった"ムヒ"の後任の"キンカン"が、上の娘から送られてきました。これで、刺されたら塗れるので、事後処理も万端です。実は、<華南の蚊>は、秦の始皇帝の兵士の如くに、大きくて強烈なのです。そんな十二分の防備を敷いているのに、どれだけ刺されたか分かりません。子どもの頃に遡って数えたら、どれほどの回数になることでしょう。そんなことを思う猛暑の大陸の7月の夕べです。

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