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この4、5月の帰国時に、友人の会社の寮から出掛けて、隅田川の河岸を、川風を受けながら、気持ちよく散歩いたしました。そこは、子どの頃の土を盛り上げただけの「土手(堤防)」とは違って、コンクリートで護岸工事が、確りとなされていました。支流と接する地点には水門が設けてあって、帝都を流れる近代河川は、津波や洪水にはびくともしないだろうと感じていました。
ところが、今回の豪雨で、そのように護岸工事が施された河川が、幾つも氾濫したてしまっているのを知って驚いています。河川土木で、科学的に想定した降雨量や河川の水量以上の降雨に、その堤防が耐えられなかったわけです。倉敷市の屋根辺りまで水が届いて、被災されたご家族が、屋根の上に逃れている写真を見て、驚いてしまいました。私の父が買い、今は次兄が住んでいる家は、多摩川の流れに近い、堤防のすぐ近くにあります。
盤石な堤防だと思えますが、これとても上流の降雨量によっては、流水能力を超えてしまうことも考えられ、安心はできません。山に降る雨が、下草や枯葉の間を静かに流れ、その流れを集めて川を形作るのですが、降る雨の量が想定を超えていたら、山の生木だって、根こそぎなぎ倒してしまうのでしょう。一昨日、こちらでも夕立がありましたが、最近の降る雨量と強さが半端ではないのです。すぐに道が川のような流れ始めているのです。
人類の知恵と技術を超えた、自然界の異変に、どう対処したら好いのでしょうか。母が教えてくれた「ノアの箱舟」の故事ですが、舟を建造しているノア家族を見て、人々が嘲笑っています。内陸部で、しかも雨など降ったことのない地で、舟の建造をするなど、誰一人想定できなかったからです。ところが、ポツリと降り始めた雨が、滝のように降ってきたのです。そして四十日四十夜降り続けたのです。
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『まさか!?」のことが起こったのです。『今は、《まさかの時代》なのかも知れないな?』と思ってしまうのです。遥か彼方の星に行ける衛星(探査機)を作って、それを打ち上げ、運行させ、その星の岩石を採取し、数年後には、地球に持ち帰えられるほどの人間の知恵と技術があっても、自分の足元の問題、古代人が戦った問題を、未だに私たちは問題にしているわけです。
多くの犠牲者が出ている被災地で、被災者のみなさんのご無事と、一日も早い復旧を、心から願っています。タイ北部の洞窟の13人のみなさんが一日も早く、脱出でき家に帰れますように(9日の朝の時点で4人が救出されたそうです!)。また、世界中の難民のみなさんが、母国に帰れて、住む家や食べ物や仕事や学びが通常にできますように。ガンや疫病に冒されたみなさんが、癒されますように、ご無事と平和と平安を、心からから願う、七月の日曜日の夕です。
(倉敷市の市花の「フジ」、探査機の「はやぶさ」の展示模型です)
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