これが海だ

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上海港から、「蘇州号」に乗船して、東シナ海に至り、まったく岸から離れ、海の真っ只中で、船のエンジン音だけしか聞こえなくなりました。四方の大海原を見渡した時に、感じたのは、『これが海だ!』でした。それまで岸が見える船にしか乗ったことがなかった私には、海の実際を知らされた時でした。カモメも飛ばなくなり、飛魚が船の進む方向に、まるで競争するかの様に、飛んでいる姿しか見えませんでした。

作詞が林柳波、作曲が井上武士の小学校唱歌の「うみ」です。

1 うみはひろいな 大きいな 
月がのぼるし 日がしずむ

2 うみは大なみ あおいなみ
ゆれてどこまで つづくやら

3 うみにおふねを うかばして
いってみたいな よそのくに

海の上の船で、丸2日の船旅は快適でした。五島列島が見えてきた時は、『1年振りに帰って来たんだ!』と思ったことでした。北九州の岸が見え、瀬戸内海をゆっくり走って、翌々朝に、大阪港に着岸したのです。もっと早く走れるのかも知れませんが、瀬戸内海の何処かで、しばらく停泊していたのかも知れません。寝ている間ですので分かりませんが。
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飛行機のない時代、門司や神戸の港から、大陸に向かって船で出掛けたのです。父も青年期に、そうして大陸に渡り、奉天で仕事をしていました。何度か、この船を利用して、上海と大阪を往復したのですが、最近は、飛行ばかりになってしまいました。一度、冬の嵐の時には、船が大揺れして、船員さんたちも船酔いしていた様でした。遣唐使船や遣隋使船は、木造の小型船でしたから、大変だったろうと想像したものです。

今日は、「海の日」だそうですね。3連休だとか。大陸にいて、その恩恵に預かったことがありませんが、退職して、こちらでお仕事の手伝いをしながら過ごす身には、「陸の日」の連続でしょうか。来月には、「山の日」もあるのですね。

(下は、黄浦江を進む「蘇州号」の船首と上海港の周辺の様子です)

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お見舞い

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この街に来まして、間もなくなく出会ったご家族があります。私たちの長男と同い年で、パンの製造販売と、パン製造の機器や材料などを扱う事業を営んでいる方です。学校を終えて、上海に出たのだそうです。そこで同郷の奥様と出会って結婚をされ、現在、二人のお子さんを育てておいでです。現在、お子さんたちは、東京においでで、下の小学生のお嬢様は、区立小学校に通っておられ、お母様が一緒に生活をされておいでです。

日本贔屓で、日本の製品と変わらないパンを作っておられ、新規に「どら焼き」を製造して、それを売り出した時には、製品を届けてくれました。美味しかったのです。以前、この会社で、「日本語読書会」も持っていたのです。また何時か再開したいと言っていますが。最近、この方のお母様が、重い病気に罹っておられて、木曜日に、彼の故郷に、所用でこちらに戻っておられた奥様、会社で働いていおられる方と、お見舞いに行って来たのです。

この国には、「省sheng」があり、「市(この市に含む幾つかの<市>があります)」、「县xian(日本で言う<県>です)」、「镇zhen(日本の<郡>でしょうか)」、「村cun」の行政区分があり、出掛けたのは、この街の末端の一つの「村」で、潮のにおいがする海浜の村でした。こう言った何十万という村で、この国が形作られているわけです。

今では、「巨峰」や、台湾から輸入してきた「火龍果huolongguo☞写真」を、この村で栽培していて、頂いて帰ってきました。土地に見合った作物が研究されていて、高級品は大都市に、二級品は省内の市場に、はね出し物は、家で食べたり、路上で売られたり、親族に送られたりされているのでしょう。亡くなられたお父様が作られたという、自分の故郷を、海からの大波から守る防波堤や、お父様のお墓まで案内してくれた、彼自慢の故郷でした。

ご両親は、お嬢様と二人の息子を育て上げ、ご主人と死別されたお母様は、お嬢さんの体の不自由な息子さんのお世話を、病気になるまでされてきていました。6年前に、そのお孫さんに、この街でお会いして、今は21歳になっておられ、施設で生活をされていました。その村に行く途中、家内が、「巻寿司」を作って、それを持参して、彼を訪ねました。彼は美味しそうに食べてくれたのです。PC操作ができるので、その道で仕事ができたら、自立できるのですが。口に加えた筆で目や文を書かれる星野富弘さんのお話などをしてみたいと思っています。

お母様の家では、妹さんたちが、夕食後の用意をしてくださっていて、ご馳走になってしまいました。若き友人から、病気になった母親を訪ねて欲しいと依頼されたのは、嬉しいことでした。一緒に時を過ごし、病気を克服できるように願い、良い交わりが与えられて、夜遅くなりましたが、この街のわが家に、無事に帰ることができました。好い一日でした。遠くに病人を見舞えるというのは、感謝なことです。