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これは、兄が妹を、カートに乗せて、家の近くを連れ歩いている写真で、もう何年も前に、次女が送ってくれたものです。今も仲良く生活をしているそうで、私の孫自慢の写真の一葉です。男兄弟四人で育った私は、姉や妹が欲しかったのですが、無骨な男ばかりの中で、喧嘩に明け暮れて一緒に育ちました。
西条八十の作詞、古賀政男に作曲で、「誰か故郷を思わざる」という歌が、昭和15年(1940年)の戦時下に発表されました。
1 花摘む野辺に日は落ちて
みんなで肩を組みながら
唄をうたった帰りみち
幼馴染(おさななじみ)のあの友この友
ああ誰(たれ)か故郷を想わざる
2 ひとりの姉が嫁ぐ夜に
小川の岸でさみしさに
泣いた涙のなつかしさ
幼馴染のあの山この川
ああ誰か故郷を想わざる
3 都に雨の降る夜は
涙に胸もしめりがち
遠く呼ぶのは誰の声
幼馴染のあの夢この夢
ああ誰か故郷を想わざる
故郷の人や自然の風景が歌い込まれていて、多くの人に愛唱され続けてきた歌です。39歳で、大手術をした後、山梨県の韮崎から渓谷沿いに入った温泉宿に、湯治で、何度か泊まったり、入浴に出掛けたことがありました。家内を誘って出掛けた時、年配の湯治客が、温泉の湯の中で、『後で、一緒にお茶でも飲みませんか!』と、この方の部屋に誘ってくれたことがありました。
茶菓をご馳走になりながら、宿で初めて出会った方と談笑した後に、『一緒に歌いませんか!』と言われました。この方は、アコーデオンを持参しておられ、それを弾きながら一緒に歌った中に、この「誰か故郷を思わざる」もありました。歌謡曲など歌ったりしないし、知らないはずの家内が付き合って、一緒に歌い出していたのです。
鄙(ひな)びた湯治宿の午後の一時に、《日本人をした》のが思い出されます。人前で、歌謡曲を歌うことのなかった私も、つい、この方の薦めで、つられて歌い、楽しい時を過ごしたのです。その宿は、けっこう重症な病後の方が、好んで投宿する宿でした。腹部や胸部に、大きな手術痕のある方が多かったのです。この誘ってくださった方も、《病友》、《宿友》のよしみで、親しく談笑し、歌ったのです。
あの宿も、すでに営業をやめられてしまった様です。小川のせせらぎの渕に、ひそりと建てられた、古びた木造の宿でした。床板が歩くと音がしたのが懐かしいのです。国内でも、ラジウム温泉で有名で、『ここが一番良い!』と、あちこちと行かれた方が言っていました。炭酸水を含むのでしょうか、『細かな水泡が、身体中につくのがいいんです!』と、常連さんが言っていました。術後のご婦人も、身体にタオルを巻いて、手狭な浴槽で肩を触れんばかりにして、必死に入浴をしていたほど、薬効があった様です。
ああ言った宿が消えてしまうのは、なんとも寂しいものです。話好き、歌好き、食好き、寡黙な方、寂しがり屋など、人生のいろんなところを通って来た、中年から初老の人たちの好む宿でした。自炊、半自炊、賄い付きなど多様な湯治のできる、あんな宿は少なくなっているのでしょうか。さて、この孫たちは、声を合わせて、一緒に歌うことなどあるのでしょうか。人に愛される子に育って欲しいと願う大陸の早暁です。
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