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タイから“嬉しいニュース”が入りました。洞窟の中で行方不明になっていた、サッカー少年たち12名とコーチ1名とが、タイの海軍やイギリスの救助隊たちによる、必死の捜索の結果、発見されたのです。ワールドカップの行われていた時期の事故でした。無事の救出のために、もう3日必要と、外伝が伝えています。
ご両親の元に、無事に帰られるように心からお祈りしています。
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新宿の街で、小石を投げると、どちらかにきっと当たると言われたのが《"桜"に“N”のマーク》でした。新宿を行きに帰りに通過し、時には下車して、喫茶店や食堂や映画や落語を、飲んだり、食べたり、観たり、聞いたりしていた私が、よく聞いたり、言ったりしたことでした。何のことだと思われますか。それほど沢山いたり、あったりすることの例えでした。そう、今日日有名になってしまった<日大の学生>と<日本交通のタクシー>でした。
大学経営とタクシー会社の経営で、抜きん出ていたから、ユーモラスにそう言われていたのかも知れません。もう半世紀も前のことですから、今では違った言い回しがありそうですね。きっと、中国人の留学生が、新宿の街に溢れていることでしょうから、今では、その一方は、<中国人の留学生>に置き換えられるかも知れません。《それだけ多い》との喩えです。
ほぼ一年に一度の帰国を、ずっとしているのですが、この数年、帰国して目立つのは、欧米人の観光客が、地下鉄にも、ビジネスホテルにも、繁華街以外にも大勢いらっしゃるのです。川越に所用で出かけた時に、ターミナル駅に、これまた欧米人が何組もおいででした。もちろん、中国人観光客は、どこにでもおいでですが。
以前はお金持ち風の観光客が多かったのですが、“バックパッカー”と呼ぶのでしょうか、ザックを背負った中年から初老の欧米人が目立っていたようです。だいたい、昔は、若者がザックを担いで、地図を片手にして、キョロキョロと方角を見定めていたのですが、欧米人の御夫婦、女性連れ、しかも中年から初老の方たちが目立つのです。
前回の帰国時には、秋葉原駅前が、まるっきり変わってしまって、道を聞くのに、見回すと、中国人のみなさんが大勢で、彼らに聞かないように気を付けるのに大変でした。地下鉄の出口とJRの出口が分からなくて、バスターミナルに、なかなかたどり着かなかったのです。それに、”お上りさん“、私たちもですが、が多くて、店員さんにも聞くのですが、道や建物など知らない人ばかりでした。
もし、秋葉原で小石を投げていたら、きっと中国の方に当たるのでしょうね。同じアジア系ですが、やはり、ちょっと違いがあるようです。私たちも、この中国の街で歩いていると、地元の人は、『同胞ではないなぁ!』と思っているようです。どこか、ちょっと違うのでしょうか。私たちが、この国を楽しんで生活しているように、外国人観光客にも、日本を楽しんでもらいたいものです。
(1889年の秋葉原の街の様子です)
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