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一人の友人に、なぜか仕切りに会いたくなりました。幼馴染でも、小学校の仲良しでも、中高の悪友でもなく、大学で出会った男です。剛柔流の空手部に所属し、けっこう強く、実績もあった部でしたが、暴力事件に巻き込まれて、入学した頃には、<喧嘩両成敗>で、表立って活動ができずに、隠れて稽古をしていました。古武士の様な男で、爽やかな目をした好漢でした。
父君を、戦争で亡くして、お母様の手で姉上と彼は、 九州の街で育って、上京して来ていました。同じ学科の同級でした。母が参加していた倶楽部に、一緒に行ったり、そこで臨時に留守番をしていたアメリカ人の婦人の家にも出入りしていました。そこには、同級生が何人か、お邪魔して、交わりをしていました。
彼が、島崎藤村が好きで、「初恋」や「惜別の歌」をよく歌っていました。
まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな
林檎畑の樹(こ)の下(した)に
おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみ
問ひたまふこそこひしけれ
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私たちが学んだのは、この藤村が学んだ同じ学校でした。そういう先輩後輩のよしみで、彼は、藤村を好んでいたのです。この友人が、高倉健も好きで、何度か一緒に、映画を観る羽目になったのです。自分では観たいとは思わない、「任侠物」だったのですが、一緒に見ているうちに、映画に引き込まれてしまい、一緒に活動してる錯覚に見舞われた様でした。
浅草が舞台の「唐獅子牡丹」という題で、シリーズ物の最初の映画で、新宿で観たでしょうか。彼の父君は博徒ではありませんで、旧陸軍の陸大卒の佐官の将校でした。戦後、中国の北支に残留して、軍命で国民軍に加わったのですが、事情が変わって、処刑される部下たちの責任をとって、自刃してしまったのです。上級の上官は、終戦と同時期に、無事に帰国したのですが、残留組は辛い目にあったのだそうです。
彼の話によると、ベルリンオリンピックには、彼の父君は、乗馬の補欠で参加もしたほどの乗り手だった様です。互いの結婚式に、行き来をした後、疎遠になってしまって、今になってしまいました。父君の戦友だか、叔父さんの戦友だかの会社に勤めていましたが、重役をしていました。そう言えば、法学の教授が、父君の部下で、彼の結婚式の仲人をされていました。
どうしたのでしょうか、彼のその後が気になってしまいました。疎遠の友に会いたいとの思いも、「終活」の一つなのでしょうか。『呆けてしまう前に、何かするように!』との内なる声なのでしょうか。今度、帰国したら連絡をとってみましょう。
(山西省太原氏の街中の様子、林檎の花です)
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