イチヤクソウ

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広島県北広島町安芸太田町で咲く、晩期の「イチヤクソウ(一薬草)」です(☞「HP里山を歩こう」からです)。

広島県下も、大雨の影響で、大きな被害が出ているそうです。南方からは、強大な勢力の「台風8号」が、沖縄や台湾をうかがっている様です。梅雨の期間が短かったから、明けたと同時に、大雨に見舞われているのでしょうか。ご無事を、心から願っております。

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ご無事を!

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悪戯をして叱られたり、からかわれる時に、父や兄に、よく言われたのは、『準、お前は、◯ヶ滝で拾ったんだぞ!』でした。記憶にない時のことを、そう言われて、そう信じていたことがありました。よく、日本人は、こう言ったことを、古来子どもたちに言ってきている様です。

この滝の上流の綺麗な渓谷の脇に、旅籠宿がありました。その離れを借りて、家族をそこに住まわせて、父は山の奥の軍需工場で仕事をしていたのです。弟と私は、そこで生まれました。同じ山の麓から流れ出る、別の流れの脇に、父の事務所があって、そこに越して、私たち兄弟は育ちました。山女魚が泳ぐ渓流の脇でした。私の生まれ故郷ほど、美麗な山里はありません。その故郷は如何おわすでしょうか。

みなさんの生まれ育った故郷は、今回の豪雨の被害に会われていらっしゃるでしょうか。自然の美を破壊してしまう様な、想像を絶する暴雨の襲来で、日本列島は大変の様です。というよりは危機的状況です。いえ日本ばかりではなく、熱波や豪雨や地震や火山爆発など、地球全域が、危機的状況に見舞われています。

国境紛争や経済制裁や自国防衛などの問題から目を離して、温暖化や人口増や食糧危機や疫病など、地球規模で考えないと、残された二十一世紀の80年は、生き抜けられないのではないでしょうか。『早く手を打たないと!』と、一世紀も前から言われ続けているのに、<他人事>でしか考えなかった脅威が、身近かで猛威をふるっています。

人心の荒廃と自然の脅威と、関係があるのでしょうか。本末転倒の時代の只中で、《本来》、《当初》に戻らないといけない時期に、来ているのではないでしょうか。幼い日に母から聞いた、「ノアの箱舟」の故事が、思いによぎってまいります。

みなさんのお住いの地と故郷、ご親族の無事を心から願っております。

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あれから

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長女が、都内の短大の卒業をしたのが、1995年3月20日でした。その日、短大の卒業式が、「渋谷公会堂」で行われ、私たちは、長女が生まれ育った街から、JRの電車に乗って、駆け付けて、式に参列しました。娘は、地下鉄に乗って渋谷に向かったのですが、その途中に起こったのが、あの「地下鉄サリン事件」でした。

そんな日本を震撼とさせる様な大事件を、娘も私たちも避けられたのですが、13人の犠牲者(その他の事件の犠牲者総数は29人になります)、6300人の負傷者を出したのです。娘は、それをギリギリに避けて式に出られたのです。何が起こったのかは、知るよしもなかったのですが、式の混乱を避けるために、それには触れずに、無事に卒業式が挙行され終えたのです。

私は、ヨガとか瞑想には、全く興味も関心もありませんし、ある人たちが、それをすることによって、精神的な錯乱を起こしていていて、そう言った被害者とお会いしたことがありました。趣味やエクササイズでは終わらない<深み>がある様です。時には、人の心の深みに、出口のない闇を引き込んで、思考能力を狂わせたり、精神を破壊する可能性があることを知って、近づかないのです。そして、人にも危険を喚起し、注意する様にお話しています。あの団体の始まりも、それでした。
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そんなことをするより、「落語」を聞いたり、音楽会でモーツアルトを聞いたり、知らない街に旅をしたり、美味しい物を食べていた方が、心や身体の疲れを取り除け、清新な気分を味わえるのです。今日のニュースで、首謀者と共犯者が、死刑に処せられたと報じています。<古代法>は、「目には目、歯には歯」ですが、<近代法>では、「死刑」には賛否両論があります。でも人は、「播いたものを刈り取る」のかも知れません。どう受け取るかは一様ではないのでしょう。

あの団体の施設が、山梨県の上九一色村にあって、何時でしたから、取り壊された跡地に立ったことがありました。そこで悪計が図られ、準備され、日本を支配するために出て行った場は、夏草が茂っていただけでした。でも、残党が活動しています。公安調査庁によると、同じ凶行を繰り返す可能性が大きいと警戒している様です。

「手段」を誤らせる、間違った<精神集中術>は、限りなく危険です。どうしても避けて、近付いてはなりません。『悪しき物に魂を売ってしまうからだ!』と言われています。この私たちが住み続けている街の北の嶺に、中国中から、若者を集めて、「キャンプ」をした跡地があります。そこでは、中国の将来に、夢を持って生きて行き、祖国の復興に仕えるために、願い学び、夢を語り合ったのだそうです。

大人は、若者に、《夢》を与えなければなりません。遠大で、壮大な夢です。自分に、与えられている若さや力を、祖国の祝福のために費やすためにです。私は、そこに出かけて、廃屋なった建物の側に行くのが好きなのです。締め切った建物は、もう使えそうもありませんが、その時の「息吹き」が、何となく感受できるからです。あの嶺の上で、学んだ若者の子や孫たちが、志高く、同じ幻に、今も 生きてることでしょう。

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