あれから

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長女が、都内の短大の卒業をしたのが、1995年3月20日でした。その日、短大の卒業式が、「渋谷公会堂」で行われ、私たちは、長女が生まれ育った街から、JRの電車に乗って、駆け付けて、式に参列しました。娘は、地下鉄に乗って渋谷に向かったのですが、その途中に起こったのが、あの「地下鉄サリン事件」でした。

そんな日本を震撼とさせる様な大事件を、娘も私たちも避けられたのですが、13人の犠牲者(その他の事件の犠牲者総数は29人になります)、6300人の負傷者を出したのです。娘は、それをギリギリに避けて式に出られたのです。何が起こったのかは、知るよしもなかったのですが、式の混乱を避けるために、それには触れずに、無事に卒業式が挙行され終えたのです。

私は、ヨガとか瞑想には、全く興味も関心もありませんし、ある人たちが、それをすることによって、精神的な錯乱を起こしていていて、そう言った被害者とお会いしたことがありました。趣味やエクササイズでは終わらない<深み>がある様です。時には、人の心の深みに、出口のない闇を引き込んで、思考能力を狂わせたり、精神を破壊する可能性があることを知って、近づかないのです。そして、人にも危険を喚起し、注意する様にお話しています。あの団体の始まりも、それでした。
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そんなことをするより、「落語」を聞いたり、音楽会でモーツアルトを聞いたり、知らない街に旅をしたり、美味しい物を食べていた方が、心や身体の疲れを取り除け、清新な気分を味わえるのです。今日のニュースで、首謀者と共犯者が、死刑に処せられたと報じています。<古代法>は、「目には目、歯には歯」ですが、<近代法>では、「死刑」には賛否両論があります。でも人は、「播いたものを刈り取る」のかも知れません。どう受け取るかは一様ではないのでしょう。

あの団体の施設が、山梨県の上九一色村にあって、何時でしたから、取り壊された跡地に立ったことがありました。そこで悪計が図られ、準備され、日本を支配するために出て行った場は、夏草が茂っていただけでした。でも、残党が活動しています。公安調査庁によると、同じ凶行を繰り返す可能性が大きいと警戒している様です。

「手段」を誤らせる、間違った<精神集中術>は、限りなく危険です。どうしても避けて、近付いてはなりません。『悪しき物に魂を売ってしまうからだ!』と言われています。この私たちが住み続けている街の北の嶺に、中国中から、若者を集めて、「キャンプ」をした跡地があります。そこでは、中国の将来に、夢を持って生きて行き、祖国の復興に仕えるために、願い学び、夢を語り合ったのだそうです。

大人は、若者に、《夢》を与えなければなりません。遠大で、壮大な夢です。自分に、与えられている若さや力を、祖国の祝福のために費やすためにです。私は、そこに出かけて、廃屋なった建物の側に行くのが好きなのです。締め切った建物は、もう使えそうもありませんが、その時の「息吹き」が、何となく感受できるからです。あの嶺の上で、学んだ若者の子や孫たちが、志高く、同じ幻に、今も 生きてることでしょう。

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