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一世紀のユダヤ人社会の中で、ある物語が語られました。「九十九匹の羊と一匹の迷子の羊」です。どんなお話かと言いますと、100匹の羊の世話をしていた羊飼いが、<一匹>の羊がいなくなった事に気付きます。それで、<99匹>を牧場に残したままで、その<一匹>探しに出かけるのです。

数量的に、日本人の私は<一億三千万分の一>ですし、こちらの中国では<十四億分の一>になります。統計学的に考えますと、<一人>の人の数に比べるなら、他の残った<一億二千九百九十九万九千九百九十九人>と比べるなら、物の数には入りません。

それで、戦争中は、残った同胞を救うために、<一人>の兵士が犠牲になって戦場に送られ、戦死するか傷痍軍人(しょういぐんじん)になるかで終わっても、「よし」とされた戦争をしました。「一銭五厘」の命だったのです(戦役義務を促す<召集令状>が一銭五厘のハガキだったのです)。私は、「父無し子(ててなしご)」の悲哀を、よく知っています。「クン坊」は、私と同じでオッチョコチョイで、悪戯で、落ち着きのない同級生でした。でも、ふと<悲しい表情>をする事がありました。どうしてか分かったのは、<クン坊>の家にはお父さんがいなかったからでした。

また大学の同級の「準」は、高倉健の任侠映画を観ては興奮して、一緒に酒を飲み交わした仲間でした。彼も、空手をする様な剛毅さを持っていたのですが、ふと<寂寞とした雰囲気>に包まれる事があったのです。わが家に来て、泊まった時に、私の父と話した事があり、とても<羨ましそう>にしてました。彼の父君は、有名な軍人でした。戦時下には褒めそやされた軍人が、敗戦後、手の平を返した様に、戦争犯罪人と嫌われた中を、母君の故郷でお母さんの手一つで育ったのです。

あの羊飼いは、一匹の羊の<命の重さ>を知っていたのです。数的に比較した命ではなく、一個一個の命を心に止めていたのです。私の愛読書の中に、「あなたは高価で尊い。」とあります。虫にも等しい様な私を、「高価」で「尊厳」にある存在だと言ってくれているのです。もし、この事が分かっていたら、<神風特別攻撃隊>を編成したり、出撃命令を下す事などなかったはずでした。<一銭五厘>のハガキなど、勝手に送付する事もなかったに違いありません。

JR西日本の新幹線車両の亀裂故障が起こった時、問題ある指示がありました。発車駅「小倉駅」で焦げた匂いを感じたまま発車しました。「岡山駅」で異常音を耳にしたと聞いた保守点検担当者は、停車駅での点検をすべきだと提案をしたのですが、東京にある<新幹線総合指令所>は、『走行に支障するような音ではない』と判断し、継続走行を指示したのです。そのまま走り続けて、「名古屋駅」でようやく問題が発覚したわけです。

危険のサインがあったのに、それを無視した事、点検を後回しにした事、人命の安全が第一だという事を守らなかった事、《定時走行(作り上げてきた新幹線の誇りと実績と好評価と言った"売り")》を大切にしてしまった結果でした。『発車時間を守り続けてきた旧国鉄、JR!』の美名を守ろうとした結果です。「誇り」が、利用者全員と言うよりは、《一人一人》の命を軽視してしまう危険性でした。

「ハインリッヒの法則」は、何事に対しても警告となる大切な法則の様です。最も大切な事は、その時点での司令担当者の《正しい状況判断と的確な決断》ですね。政治家や経営責任者や株主の判断ではありません。運輸大臣でもありません。長年従事してきた当事者、担当者の《心》に中に語りかけられる《声》です。大惨事にならなかった、ヒヤリとした経験を教訓に、安全運転に心掛けていただきたいのです。

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