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孔子の弟子に、「子路」という人がいました。《孔門十哲》の一人で、孔子が最も愛した弟子だったそうです。その出会いの様子が、次のように伝えられています。
『「汝(なんじ)何をか好む?」と孔子が聞く。
「我、長剣(ちょうけん)を好む。」と青年は昂然(こうぜん)として言い放つ。
孔子は思わずニコリとした。青年の声や態度の中に、余りに稚気(ちき)満々たる誇負(こふ)を見たからである。血色のいい・眉(まゆ)の太い・眼のはっきりした・見るからに精悍(せいかん)そうな青年の顔には、しかし、どこか、愛すべき素直さがおのずと現れているように思われた。(中島敦著「弟子」からの引用)』
この子路は、無頼で軽率さの見られる人だったのですが、ただ「率直」だったのが、孔子に愛された理由だったのです。直情的な性格でしたので、孔子の説く教えと、自分とのギャプの大きさに、弟子になったばかりの頃は苦しみながら、教えを受け入れていったと言われています。年齢差は、<九歳>だったそうです(私とアメリカ人の師と同じでした)が、「人間」として抜きん出ていた孔子に、子路は男惚れてしまうのです。実年齢さには、はるかに及ばない「人間の差」に、子路は圧倒されて、「師」のそばで死ぬまで過ごすことに徹したのです。
この子路について、中島敦の「弟子」に、次のような箇所があります。
『師の言に従って己(おのれ)を抑(おさ)え、とにもかくにも形に就こうとしたのは、親に対する態度においてだった。孔子の門に入って以来、乱暴者の子路が急に親孝行になったという親戚(しんせき)中の評判である。褒(ほめ)られて子路は変な気がした。親孝行どころか、嘘(うそ)ばかりついているような気がして仕方が無いからである。我儘(わがまま)を云って親を手古摺(てこず)らせていた頃ころの方が、どう考えても正直だったのだ。今の自分の偽りに喜ばされている親達が少々情無くも思われる。こまかい心理分析家(ぶんせきか)ではないけれども、極めて正直な人間だったので、こんな事にも気が付くのである。ずっと後年になって、ある時突然親の老いたことに気が付き、己の幼かった頃の両親の元気な姿を思出したら、急に泪(なみだ)が出て来た。その時以来、子路の親孝行は無類(むるい)の献身的(けんしんてき)なものとなるのだが、とにかく、それまでの彼の俄(にわか)孝行はこんな工合ぐあいであった。』
この子路は、大変な親孝行だったそうです。百里も離れたところに住む叔母のところに行って、米をもらい、それを背負って家に持ち帰って、両親に食べさせたほどでした。それで中国の「二十四孝(ここには本名の"仲由"で出ています)」の一人に数えられている人です。
今日日、世界中で「老人問題」が注目されていて、ここ中国も同じです。こちらには、2億4000万人以上の老齢者がいて、「行方不明者」や「孤独死」や「虐待」の問題が多く、ニュースで取り上げられています。 私自身も老齢に達していますので、他人事ではありません。ある人が、「人は生きて来た様に、老いを迎え、死を迎えるのだ!』と言っていました。
百まで生きようと、私は公言し、決心しているのですが、ちょっと決心が揺らいでしまいそうです。でも 人の「齢(よわい)」を決めるのは、命の付与者のみですね。それなら、一日一日を、生かされている思いで、気張らずに、素直に生きていきたいものです。
(米を背負う「子路(仲由)」の像です)
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