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高校の国語で、「古文」を学びました。あの文語体の文章の歯切れの良さが、大好きだったのです。話し言葉には、何か余計なものがあるのとは違って、実に簡潔だったからです。多分、子どもの頃に「時代劇」で、月形龍之介とか市川右太衛門とかの台詞を聞いらからでしょうか。「あなた」を、『おぬし』と言ったりしてました。一度、そう言ってみたくて仕方なかったのを思い出します。
それに、「漢文」も好きでした。杜甫や李白の詩を、<返点の"レ">などを付けて、日本語にして読んでしまうところが面白く、これも簡潔で大好きでした。先日お邪魔した家に、「小一xiaoyi」の男の子がいて、テーブルの上に、「漢詩」の国語の教科書が載っていました。小学校一年生で、漢字だけの「国破れて山河あり」を読めるのです。日本の小学校一年では、「80字」に制限されていますから、学習漢字数は、中日では<雲泥の差>がある様です。
その「古文」で、「徒然草」を学んだのですが、全編ではなく、「大学入学試験」に出そうな箇所だけを学んだに過ぎませんでした。その「徒然草」に、次のような事が書かれてあります。『酒は百薬の長というが、全ての病気は酒から起きている。知恵を失わせ、善行を火のように焼き尽くし、悪を増し、戒律を破って地獄に落ちるに違いない。(現代文に翻訳)』とです。吉田兼好の時代にも、「酒害」が多くあったのですね。
私の愛読書の「格言集」に、「強い酒は滅びようとしている者に与え、ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えよ。」とあります。「葡萄酒」には、心に痛みがある人の「痛み」を、一時的に和らがせ、忘れさせる効用があるのです。私は、25才の時に、お酒をキッパリとやめました。「好い酒」ではありませんでしたし、もう「酒」の力を借りないで、素面(しらふ)で生きていられる様になれたからだと思います。
あのまま半世紀も、酒を飲み続けていたら、家内の言葉によると、すでに生きてはいないかも知れません。ビールを2、3瓶、毎日飲んでいて、単純計算しますと[3瓶×365日×50年]、すごい瓶数、酒量、そして金額になる様です。弟に聞いた話ですが、『頭が酒でクラっとするたびに、脳細胞が驚く数で死んでいく!』のだそうです。
(杜甫が書いたとされる「書」です)
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