師走の朝顔

.

.
おはようございます。「師走(しわす)」の「朔日(ついたち)」、12月1日です。午前7時のベランダの寒暖計は17℃を示しています。室内の方が寒い感じがしています。「时间过了很快shijianguolehenkuai/時間って早く過ぎゆきます」ですね。

2017年も暮れゆくのですね。もう秋ではなく冬なのですが、Tシャツでいることもあるほどです。最近、カラッと晴れないのです。

「最後の朝顔」になるかも知れません。今朝、ベランダの流しの下で、小さな花を開いてくれました。

前に住んでいた家で咲いていた朝顔は、年を越しても咲いていたのですが、日射量が、ここよりも多かったからでしょう。家の南側には、向こうのビルとの間が広く離れていたので、燦々と陽が射していたのです。でもここは、緑が多くて、気が落ち着きます。

好い年末、好い1日をお過ごしくだだい。
.

黄昏

.

.
いつのことでしたか、壁に寄り掛かって、何を考えるでもなく、遠くに視線を送っていましたら、『何をタソガレているんですか?』と、あるご婦人から話しかけられたことがありました。夕方ではなく、昼過ぎだったでしょうか、「黄昏れる」という言葉を初めて聞いたのです。物思いに耽っている様に、あるいは放心している様に見えたのでしょうか。また、人生の「黄昏期」に差し掛かって、初老を感じさせていたからかも知れません。『あまり、活動的に見えないよ!元気を出して!』とでも言いたかったのかも知れません。

「黄昏」は、「誰(た)そ彼」と言う古語から生まれた言葉で、夕闇で誰れだか分からないので、そう問い掛けて言ったのだそうです。それを、漢字で、そう表記する様になったのです。私が、<漢字検索>で使う「漢典」という中国語サイトには、「◎ 黄昏 huánghūn[evenfall;dusk]∶日落以后至天还没有完全黑的这段时间」とありました。日没後、まだ空が暗くなる前の時間帯のことを言う様です。唐の時代、李商隱が詠んだ「樂遊原詩」に、「夕陽無限好,只是近黃昏。」とありますし、「三國演義」にも、「時至黃昏,風雨暴至,兩下各自收軍。」とありますので、ずいぶん昔からある言葉だとい言うわけです。

夕方を、「燈点し頃」と言ったりしますが、冬にはもう真っ暗な時間帯なのに、さすが夏至の今頃は、まだ外が明るいのです。アメリカの西海岸のオレゴンを訪ねた時に、夜の9時、10時になっても、まだ空が明るかったのには驚かされてしまいました。その時、『「白夜」とは、こう言った感じなんだろうか?』と、感じ入ってしまいました。

日本には、「◯◯百選」と言われるものが多くあるのですが、「夕日百選」と呼ばれるものがあります。私の母の故郷、島根県の宍道湖(しんじこ)に、「島根県立美術館(写真)」があって、その湖に沈んでいく夕陽の景観が素晴らしいのだそうです。全面ガラス張りの建物から、その夕日が眺められるる様な作りになっています。3〜9月までは、閉館時間が、日没30分後にされていて、参観者が夕日を見られる様に配慮されているのです。

今春、入院手術のために帰国中、こちらに戻る前の一週間、弟の家に泊めてもらったのです。彼との話しの中で、今度、私が帰国したら、母の故郷に、母の親しい知人を、兄弟で訪ねる計画が提案されたのです。みんな人生の「黄昏期」に入って、時間を工面できますので、表敬訪問したついでに、宍道湖の「シジミ」の味噌汁を飲むことができそうです。できたら、この美術館で夕日を眺めて見たいものです。
.