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私たちの世代では、戦争で出征して、戦地で戦闘や病気で亡くなった、「父なし子(ててなしご)」が多くいました。とくに親しかった小学校での長島くんや馬場くん、高校での池宮くん、大学での今村くんなどがいるのです。赤紙で召集され、一兵卒であったり、陸軍士官学校を出て、高級士官だったりで戦死しています。叔父も、南方で不帰の人となっています。
今では、病気や事故などで、父親を亡くした子がいます。今朝、家内が、『"日馬富士"は、父なし子として育って、十六歳で、75kgの軽量体重で日本にやって来て、相撲界に入ったんだそう!』と言っていました。ニュースで聞いたのだそうです。そんな辛さを知っていて、同じ様な境遇の"貴之岩”を、特別に目に掛け、可愛いがってきたのだそうです。
横綱は、そんな彼が、<土俵に落ちている金>を拾って、強い相撲取りに大成して欲しいと思っていたのでしょう。結構我儘だった"貴之岩"に、規律と愛とが行き過ぎて、白鵬に対して無作法をする彼を叩いてしまったのが真実の様です。泥酔しての行為だったのではなさそうです。
もちろん暴力はいけません。でも横綱の心意気とか思いやりを知ると、気の毒に思えて仕方がありません。私たちの世代は、相撲取りには、特別な憧れがありました。二所ノ関一門が、私たちの街に巡業に来ました。通っていた小学校の校庭に土俵を作って、そこで勝負する相撲を見てから、兄たちと、二所ノ関部屋の力士の不安になったのです。そこには琴ヶ浜とか玉ノ海などがいたでしょうか。
当時、相撲と野球とプロレスが、<三大スポーツ>でした。サッカーの試合で気勢を上げている今日日の若者たちの様に、一喜一憂しながら取り組みや勝負に、関心を向けていました。まさに<気が踊る>と言うのでしょうか。もちろん、スポーツと言うだけではなく、<興業>と言われる、<見世物>の面を併せ持っているわけです。
以前の大相撲は、貧しいけれど、体格が大きい子どもが、誘われて入門するケースが多かったのです。その後は、大学相撲から入門するケースも増えてきていますが、かつての貧しい時代の<立身出世>の機会だったのです。ものすごい稽古量を積んでしか、這い上がることのできない、まさに実力と努力の世界です。 今では、モンゴル出身の力士の活躍が目立ちますが、豊かな時代になって、貧しさを克服しようとすることが必要ではなくなってきていますし、自分を打ち叩く様な稽古は流行らなくなっているのは事実です。近代スポーツをやってきた私たちでさえ、ビンタや拳骨は当たり前でした。連帯責任も取らされたのです。全国制覇をするレベルでしたから、とくに厳しかったのでしょう。 平和的な決着を願っています。 (大相撲の「番付」です) .