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向陽性の朝顔は、決して内向きに花を咲かせません。その後ろ姿を見るのみですが、けっこう毎朝、忠実に花を開いて、向こう向きで、私たちを無視して咲いています。種を蒔いた者を喜ばせていないのです。忍耐が足りなくて、諦めていたのに、開花の時期が、造物主の意思で定められているにを忘れていました。葉だけで終わるのだろうと思っていたら、芽を付けてきたのです。遅咲きだったわけです。
それは、朝顔だけでなく、人間だって同じなのでしょう。同級のOくんは、跳び抜けて大きな小学生でした。血色も好いし、朗らかだし理想的な健康優良児でした。それに比べて、肺炎病みで、死線を何度も超えてきた自分は、ずいぶん貧相なやせっぽちでした。父が必死になって、バターとか肉とかケーキとか果物を食べさせてくれたのに、申し訳ないことに、大きくなりませんでした。
中学は、私立の学校で、裕福な家庭の子たち来ていましたから、多くの子は、戦後の食糧不足の中を、恵まれて育って大きく、それに比べて、自分は背の高さ順に並ばさせられると、前から三、四番目でした。産婦人科医の息子は、おじさんの様で、すでに発毛していました。ところがバスケットボールを、父に断って始めたら、背が伸びて、中学卒業時には、173cmにもなっていました。同世代ではマアマアの背の高さになったのです。背の高さだけは挽回することができました。
高校に入った頃には、喧嘩で、かなり大男を、ノックダウンさせるほど強くなっていました。その喧嘩相手が、N大の応援団の幹部候補生になっていて、仲間の団員に話した話が、自分の通った学校の同級生に伝わって、『準、お前は喧嘩が強いんだってな!』と評判になってしまったのです。喧嘩の強さなんか自慢になんかなりませんから、恥ずかしかったのを覚えています。
この国の法廷の様子を撮った写真に、被告を両方で裁判所の警官が囲んでるものがあって、見たことがあります。高身長で体格の良い被告には、その人よりも頭一つ高い警官が、決まって両方についているのです。決して被告が優秀さを誇れない様にしているんだなあ、と感心しているのです。でも、もう5cm高かったらと、自分は願ったこともありましたが、『人の価値は、体格や能力にあるのではなく、「存在」そのものに価値がある!』と教えられたのを、思い出します。
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