6月最後の日の朝、「桔梗」が、ベランダで咲きました。清楚な白色の花びらを見せてくれています。西方にある道の駅で買った苗です。下の紫色の桔梗は、昨日の散歩の途上、道路側に咲いていたものです。
梅雨が開ける前に、秋の花が咲いたのですが、真夏の暑さの中に、清涼な気分を楽しませてくれる花なのですね。
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人には、防護本能(防衛本能でしょうか)があるのでしょうか、〈老い〉との対決に違いなく、こちらに越してきてから、車がないこともあって、散歩に励んできたのです。思い返してみますと、『ずいぶん歩いて来たなあ!』と言うのが正直な思いです。
『正しい人の行く道は平らです。あなたは正しい人の道をならし、平らにされます。(イザヤ26章7節)』
山道も、畦道も、外国の道も、車の故障で高速道の端も含めて、この二本の足は、歩き続けてきたので、感謝の思いで、足元を見つめているのです。でも、上を見ないといけません。そこには、どんな凸凹道でも、「平にならされる神」がおいでだったのに気付いて、驚かされています。さまざまな道があるのです。
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「アジアンハイウエー(道路元標 日本橋起点)」
「ASIAN highway 1 終点 トルコのカプクレ)」
「天空の道(熊本阿蘇山)」
「金色の道(JR青森駅)」
「アッピア街道(ローマ街道)」
「日光例幣使街道」
「甲州街道(江戸名所絵の〈日野津〉」
「鯖街道」
「哲学の道(京都)」
「道(映画)」
「奥の細道」
「行く道 来た道」
「帰り道」
「route 66」
「country roads」
「アメリカへの道(新島襄がアメリカ船で密出国した函館港)」
「登山道」
「わたしは道であり・・・(救いに至る道はイエスさま)」
最近は、病院や薬局への道、図書館への道、食べ物を買うためにお店に行く道を歩むことばかりになりました。昨日は、採り立ての野菜を買いに、〈ゆうゆうプラザ〉に、これは自転車で出かけたのです。ついでに、入浴施設にも寄ってみました。
いつも聞いてきたのは、『あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。(イザヤ30章21節)』と言われる主の声でした。これって永遠不動、永遠不変の道なのです。
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