カラー

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 去年、下の息子が、贈ってくれた「 カラー」が、黄色い花びらを一つ出してきました。季節に、自然界は正しく従って、芽を出し花を咲かせます。任せ切った生き方、在り方が大切なのでしょう。そういえば、力んだりしていないのです。

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[memory]こんな出来事もありました

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 もう40年ほど前になるでしょうか、ある日曜日の早朝、東京の都内のナンバープレートの車が、教会の横に停車したのです。一人のフィリピン人の女性を抱えた、ちょっと怪しい男たちが二、三で付き添っていたのです。彼女のマネージャーのRさんと言う方が、精神錯乱を起こして困っていて、『あなたなら何とかしてくれる!』と聞いたので、連れて来たのだと言うのです。無名なのになぜ知ってるのかと思いました。でも、この女性をどうにかしなければなりませんでした。

 担ぎ込まれた女性を、教会の一階の道路に面した部屋に案内したのです。子どもたちの朝の世話もありましたが、上の子たちに任せて、若い女性が、口から泡を拭きながら喘いでい、叫び続けていました。家内と二人で、“In The name of Jesus , go out ! “ 主イエスの名に 主イエスの名に 勝利あり(癒しあり) ・・・ 悪魔去り(病去り)・・・In The name of Jesu,  In The name of Jesu , We have The Victory ! “  と賛美しながら、悪霊の支配から、彼女が解き放たれるように祈り、さんびし続けました。小一時間しましたら、鬼の形相をしていた、くだんの女性が、正気を取り戻したのです。

 ニッコリ笑って、何もなかったかのように振る舞い、よく見ますと驚くほどの美人だったのに、驚かされたのです。この方をしばらく預かってから、連れが来て帰って行きました。聖書にもあり、私たちの牧会の中で、悪霊の問題を取り扱ってもいていましたので、私たちにできることを自覚し、神の支配の中に、彼女を取り戻そうとしたのです。

 カトリック教徒の同僚の踊り子たちも3人ほど付き添っていたのです。一人の方が、礼拝場の壁の十字架を外して、彼女の上に置いたのですが、その手作りの木製の十字架には力がないので、やめさせたのです。しばらくして彼女たちが、私たちの街の近くのバーで働くように、越して来られ、しばらく交わりがありました。その後も、同じような方が連れて来られたのですが、私は疲れ果ててしまったのです。

 この〈解放の務め〉は、自分の lifework だと思った時期がありましたが、教会の牧会上の責任もありますし、住宅街にあった教会でしたから近所迷惑にもなるので、『廣田さんの所に連れて行けば!』と言う要請を、主に願って、断ってしまいました。ある面で得意になってしまったのですが、日常を守れなくなっては、正しく奉仕の道を歩めないのでやめさせてもらったのです。

 この〈得意にさせる誘惑の力〉、自分の所に来たら、縄目から人を解放させられると言う務めが、魅力的にも思われたのです。でも、それは、十字架の贖罪の力、キリスト・イエスの復活の力、聖霊の力によるのであって、自分にその力があるのではないことを示され、そんな主の導きがあったのです。どんなに目覚ましく働いても、自分の本来の務めを行えなくなっては、伝道者としては相応しくないことを学ぶことができたのです。

 得意な点、成功の中に、驚くほどの誘惑があるのです。『あなたをサタンが恐れている!』と言う誘惑です。そんな罠が仕掛けられているのを見逃して、堕ちてしまった働き人が多くおいでです。お金や異性や名誉だけではなく、そんな誘惑の手があるのです。そう〈忙しくさせる罠〉でもあります。ですから、それは得意満面で買ってできる務めではなく、恐ろしく大変な闘いであるのです。

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 その頃でしょうか、井上良雄師の著した、「神の国の証人ブルームハルト父子(新教出版社刊)」を読んでいました。ドイツの南に位置する、メットリンゲンの村で、精神錯乱の若い女性の問題に、牧師や長老や村長たちが立ち向かい、2年ほどの格闘の末、1842年に、この女性のお姉さんで、同じように悪霊の支配にあり続けて、時がきて、『イエスは勝利者だ!』と告白して、解放されるのです。その記事を読んでいたわけです。

 医学上の精神病とは違った、闇の勢力が人の人格を蹂躙してしまう事態に引き摺り込む、まさに悪霊の働きが、時には見られるのです。あのフィリピンの女性は、イエスの御名と、十字架の勝利の告白とによって、完全に解放されたのです。子どもたちの養育や教育のために、スーパーマーケットで午前中は働き、月には数回徹夜でそのスーパーの床の清掃事業もしていて、私の時間や奉仕の容積には無理だったのです。

 それ以降、何もなかったわけではありませんが、《みことばの説教、礼拝、賛美》こそが、人を解放するのだと言う教訓を、子ブルームハルトのバートボルの家の働きの中から学んだのです。彼の奉仕中、ヨーロッパ中から、奇跡を認めて、人々が、バートボルにやって来ました。玄関の脇には、歩行補助の松葉杖などが、山高く積まれているほど、顕著な癒しがあったのです。ある時から、そう言って、ただ奇跡を認めてくる人のための祈りをやめたのです。『聖日曜日に、礼拝に来て、講壇から語られる《みことば》を聴きなさい!』と、ブルームハルト牧師は告げたのです。奇跡は止みました。私にも、それから静かな日々があって、導かれて、隣国に行くことになったのです。それは子どもたちには強烈な子供時代の体験でした.

(大型のバン、南ドイツの一風景です)

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