父の日後日譚

.

.

 「父の日」だったからか、母親を気遣ってか、いやその両方で、ハワイにいる長女が、浅草に寄って、浅草名物を買い込んで、東武特急日光線で、ハワイからやって来ました。浅草名物を手にしてでした。溢れるようなお土産を満載した二つのスーツケースを羽田空港で宅配にしてでした。「コロナ禍」で親孝行のできなかった三年の後の帰省でした。

 届いたのは、食卓に載せきれないほどでした。ここでは買い出し、食事の用意、後片付けをやってくれています。昨日は、県都・宇都宮に行って、綿の手拭、駅弁、モツ焼鳥などを買って来てくれました。” Tops chocolate cake “ を夕食後に、20年以上ぶり食べて満足でした。

 前日の土曜日の昼過ぎに、新宿発の一本で来れる日光・鬼怒川行きの特急電車で、次男が新宿のデパ地下で、母親のために、来るたびに持参する浅草名物の「よもぎ団子」、それに「水羊羹」、「大学芋」、「豚の角煮」、「落雁」などなど、ちっと甘い物傾向の菓子類などを手にして、やって来たのです。家で、姉弟、積もる話が盛り上がっていました。

 その夕方に長男家族が、中華セットの夕食を手に、玄関のチャイムを鳴らしました。嫁御は、体調不良の肩のツボを、巧みに押して、アンマをしてくれました。頭痛で日本手拭いで、鉢巻きをしていたのが、すっかり無くなってしまいました。すごく上手でした。孫たちは、面白おかしく、オバと幼い日を語合い、九時近くになって、明日の礼拝のために帰って行きました。

 『今日はこちらで父の日です。日本は昨日でしたね!🙇ごめんなさい。いつもいつもブログやメッセージで励ましてくれて、本当に感謝してます!お父さんの正直な気持ちがよく分かるようで、いつも楽しみにしています。これからもご指導のほう、よろしくお願いしますね!8月の終わりに会えるの楽しみにしています!!では。』と、アメリカ時間の「父の日」の Message を、この交わりに加われない次女が送ってくれました。8月に、家族で訪ねてくれると言ってくれています。

 『多過ぎ!!!」と、何度か言われたこともあったのですが、四人四様の今を、精一杯、それぞれが生きていて、優しいお母さんとガミガミオヤジを思っていてくれています。

.

この頃の散歩道の花々

.

.

 『しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(マタイ6章29~30節)』

 こちらに住み始めた頃、前の家の近くの家の庭に、「サボテンの花」が咲いていて、『キレイだなあ!』と思って通り過ぎたまま、時が過ぎてしまいました。自転車ではなく、散歩していると、あの時以来、数年ぶりに、咲いていたのです。

 もう嬉しくなって写真に撮りました。砂漠でなく、道路に面した庭で見て、うれしくて可愛い子に逢った気持ちでのシャッターだったのです。梅雨の合間に、通り過ぎる道の端に、美しく咲いている花々に励まされています。

.