夕張メロンより甘味なものあり

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 『ほんとうに美味しいですね♪』、わが家のテーブルで一緒にいただいた家内の友人と私たち、入院された病院で手術を終えて、帰宅されたご婦人が、ご夫妻で食べた、それぞれの〈食後感想〉が、これなのです。中国から来られて、所用で函館に行かれ、そこで注文されて、私たちに食べさせようとして、若き友人が買って、宅配してくださった「夕張メロン」でした。帰って行かれて二日後に宅配され、彼女は食べずじまいで帰国されたのです。

 明治維新政府の基幹産業の一つは、お雇い技師のライマンが発見した石炭の鉱脈からの採掘でした。アイヌ語の「ユーパロ(鉱泉の湧き出る地)」から命名された「夕張」で、黒いダイヤモンドが埋蔵されていたのです。それで製鉄業を興し、重化学工業を発展させ、戦艦や武器をも製造し始めたのです。そんな歴史のある地で、1961年に《メロン栽培》が成功したわけです。

 噂と宣伝、食べたことのある人の話を総合すると、やはり抜群の味わいなのだと聞いておりました。家の中で、唾液腺の活動を我慢しながら、添え書き通りに追熟を待っていて、やっと食べようとしたのです。飼い犬との出会いを契機に知り合った、川向こうの隣人のご夫人が、ポリープを取るために入院中でした。お茶を飲みながら、和菓子で接待してくださり、チェロの名手と、テノールの一流の歌手のビデオを、大画面と素敵な音響設備で聴かせてくださったご主人が、お一人の留守番で、孤食で寂しい思いをされているだろうと、そのメロンの半分を差し入れたのです。

 土曜日に、奥さまが退院してくるとお聞きしたのです。きっと、退院を待って、明日、一緒に食べられると思っていましたら、案の定、日曜日に一緒に食べられたと、夕奥さまから感謝の電話がありました。感動的な味だったそうで、4分の1を残して、もう一度味わうと言っておいででした。

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 冷蔵庫にしまっておいたもう半分は、いつも、お刺身や旬の果物やシャケの切り身を下さる、家内の散歩仲間のご婦人が、ちょうどお土産持参で、来られたのです。一緒に、6分の1づつで、なんと美味しいのかと、声も出さずに食べました。いつも遠慮がちの慎ましやかな老婦人も、『美味しいですね!』と、味わいながら食べてくださったのです。

 ちょっと羨ましい話で、恐縮ですが、そんな歴史のあった夕張で、こんなに美味しいメロンを作るとは驚きです。寒冷の北海道の内陸部で、どんなにか苦労して品種を改良し、育成されたことでしょうか。子どもの頃、井戸水で冷やしてくれた「マクワウリ」も美味しかったのですが、初めての夕張メロンは、格別に美味でした。

 ここに住み始め、全く地縁も血縁もない地で、素敵な出会いがあって、交流が与えられている、今は《メロン仲間》になったようです。ご主人を亡くされ、こちらに越して来られて、市内のホテルで働かれ、退職後も、こちらに住んでいる、家内の姉と同い年で、妹のように心配をしてくださる方と出会っています。

 また、もう一人の方のご主人もご病気で、何度も手術を繰り返し、好きなゴルフ打ちや散歩に励みながら闘病されておられるのです。〈真の宗教なき日本〉を嘆きながら、巡礼者のように名刹を、春と秋に巡っていて、「真理」を求めておいでなのです。医科大学の教授をされた高校時代からの親友を亡くして、自分も病んで、何かを得ようとしています。

 その奥さまの友人に、家内が差し上げる「クリスチャン新聞・福音版」を転送し、それを読み続けてこれれ級友が、先ごろ亡くなられたそうです。大きなショックだったようです。最後に、『キリストの十字架が判ったわ!』と言われたそうです。友人は若い日に、東洋英和学院で学んだ方だそうで、聖書も読んだことがあったそうです。窓を開けて、見えるお住まいの方に、主の祝福を願いながら、家内は目と心を向けています。

 《十字架の福音》は、夕張メロンよりも甘美なのが、きっと解る、解らせていただける日が来ると思っている家内なのです。口が奢ってしまい、もうスーパー売りのメロンが食べられなくなりそうです。
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