将来と希望を与えてくださる主がいてこそ

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 『友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。 (箴言17章17節

 千葉県下の私鉄電車の社員だった兄を、何度か訪ねたことがありました。ちょうどその頃、自動車学校に、運転免許証を取るために、通っていたのです。少し運転を覚えたばかりだった私は、兄の勧めるままに、駅前に待機していた、同じ会社のタクシー部門の緑ナンバーの営業車で、運転の練習をしたのです。ところが未熟な私は、道路脇の溝に、落輪をしてしまいました。

 困ったのは兄でした。東京の本社で、この営業車を、無免許運転して、しかも落輪てしまったことが、問題になってしまったわけです。将来を嘱望され、若いうちは現場に置かれた兄だったので、赦されたのです。そんなことがあって、自転車運転の興味が削がれてしまった私は、父にもらったお金で、九州旅行してしまったのです。

 免許証は、原付自転車だけは乗れたのですが、子どもが二人になった時に、普通自動車免許証に再挑戦の必要を感じたのです。手っ取り早かったのは、アメリカの免許証は、学校に通わずに、助手席に乗った親が指導して、実地練習をし、学科試験が合格すれば、運転実地試験に進められて、免許が入手できるのです。

 ちょうど、義兄がグアム島への旅行を誘ってくれ、義姉の家に宿泊している間に、免許取得に挑戦することになったのです。三度失敗して、諦めた私を、義姉の主人が、もう一度のchallenge を促してくれたのです。それで学科試験が合格しました。義父母が、ブラジルに行く前に、そこにいて、義父が助手席に座って、激励してくださったのがよかったのか、実地試験に合格したのです。

 勇躍、アメリカの統治領のグアムの license を手に帰国したのです。県の免許センターに行き、免許証の発行をお願いしたら、免許証を発行した地で、3ヶ月間の滞在期間の記録が必要だと言われたのです。この計画は、水泡に帰し、県南の自動車学校に入学して、やり直したのです。近所で同年の方が、『オヤジが、坊主をしながら、教官をしているから、そこに行ったらいいよ!』で、最短時間数で、卒検に受かったのです。

 それ以来、中古車ばかりを乗り継いで、十三年間運転から遠ざかっていたので、加害者にならないように、免許の更新をしないで、失効になって今日に至っています。

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 われわれ世代は、〈ナナハン(750cc/ HARLEY-DAVIDSON〉、国産の〈メグロ(650cc)〉や〈陸王〉などのバイクには憧れがあったのです。とても乗れる立場ではなく、諦めました。それでも車は、〈トヨタクラウン(今ならレクサスになるでしょうか)〉を手に入れたかったのです。山麓にある別荘のような家に住んで、この車に乗って、歩く時には、〈REGAL〉の靴を履きたいなと思ったものです。

 ところが、主は、『あなたは、高校生が乗り古したバイクで、中古車センターに並んでいるサニーで十分です。靴も、靴センターの特売品が似合います!』と仰りたかったのでしょう、まさに、その通りになりました。今は、事故の代替の中古折り畳み自転車に、ハアハアと喘ぎながら、健康管理と言いながら跨いでいます。

 教会だって、各戸にトラクト配布をしながら、当時ブームが去って、斜陽産業となって閉鎖されていたボーリング場を見ては、『これに手を加えて、500席くらいの礼拝堂にして、賛美チームが、楽器を演奏し、〈500人教会〉くらいで、素敵な礼拝を捧げたい!』と願っても、『あなたに、そんな多くの信徒のいる教会を任すことにできない!』と言われたようでした。それでも、聖職に召された驚きで、主と教会に支えられた日々が懐かしく思われます。

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 素晴らしい、兄弟がいて、妻や子たちや婿や嫁や孫がいて、その上、主にある同信の愛兄姉、同じ幻を持つて、伝道をしてきた友が、私にはいるのです。今も激励してくれ、祈りで支えてくれ、少しも変わらない絆を保つことができています。夢や理想でしょうか、そこそこ野心の匂いがしていましたが、みんな謙遜にされたに違いありません。それが、《老成》と言うことなのでしょう。そんな兄と弟に、3年ぶりに、先週会えたのです。姪の入院先を、訪問中の娘と見舞った折に、昼食の席を設けてくれてでした。

 自分一人で、一人前になったように錯覚していたのが、主が備えてくださった指導者の忍耐や、書物や、先達があって、仕事を続けられたことを思い返すのです。まさに将来と希望を与えてくださる主がいてこその今であります。

(「田舎の駅」、「メグロ」、「四兄弟」です)

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