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日本には、一都一道二府四十三県があります。最後に県に編入されたのが、1972年に返還された沖縄県です。沖縄を主題にした歌に、作詞が吉川安一 、作曲が普久原恒勇「芭蕉布」があります。
海の青さに 空の青
南の風に 緑葉の
芭蕉は情に 手を招く
常夏の国 我(わ)した島沖縄(うちなー)
首里の古城の 石だたみ
昔を偲ぶ かたほとり
実れる芭蕉 熟れていた
緑葉の下 我(わ)した島沖縄(うちなー)
今は昔の 首里天(しゅいてぃん)ぢゃなし
唐(とう)ヲゥーつむぎ はたを織り
じょうのうささげた 芭蕉布
浅地紺地(あさじくんじ)の 我(わ)した島沖縄(うちなー)
我(わ)した島沖縄(うちなー)
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沖縄といえば、唯一の知り合いは、沖縄出身の福音歌手の新垣勉氏です。ずいぶん前になりますが、一度お招きをしたことがありました。実に明るい性格の方で、素敵な人でした。母親を捨てたアメリカ人の父親を、『アメリカに行って殺してやりたい!』という思いを、泣きながら聴いてくださった牧師さんと出会いが、感動的でした。今は赦せて、西南学院大学で学ばれて、牧師さんでもあります。
家内は、一度訪ねたことがあり、同窓生が何人も沖縄の離島にもおいでだったようです。この沖縄は、日本でただ一つ、鉄道のない県なのだそうです。ところが、調べてみますと、戦争前には、軽便鉄道や馬車鉄道があったのです。30年もの間運行された歴史があるそうです。
那覇港を中心に、この上の路線図のように鉄道があったのです。サトウキビを運ぶための運送目的でした。敗戦を機に、鉄路が払われてしまいます。その後道路整備が行われ、自動車による輸送に取って代わってしまいます。次のような歌を歌ったことがあります。
せんろは つづくよ どこまでも
のをこえ やまこえ たにこえて
はるかな まちまで ぼくたちの
たのしい たびのゆめ つないでる※
せんろは うたうよ いつまでも
れっしゃの ひびきを おいかけて
リズムに あわせて ぼくたちも
たのしい たびのうた うたおうよ
ランララララ ラランララララ
ラランララララララララ
ランララララ ラランララララ
ラランララララララ
ランラランララン ラン ラン
ランラランラランランラン
ランラランララン ラン ラン
ラン ラランランラン
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きっと沖縄のみなさんも、この歌を歌いながら、鉄道の旅をしてみたかったのではないでしょうか。私の住む栃木県にも、石灰石を運ぶ産業用の鍋山人力鉄道、馬車鉄道があって、大変活躍していた時代があったそうです。今、住む家の前を、石灰岩を運ぶ人力鉄道が走っていたのだと聞いて、はるかに想像してみたりしています。東北本線の氏家駅から、喜連川(きつれがわ)人車鉄道があって、1902年から1918年まで営業していたそうです。その他にも、三毳山(みかもさん)にもあったそうですが、今は、こんな写真の汽車型遊覧バスが運行されています。
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蒸気機関車になど乗ったことのない世代が、お父さんお母さんやおじいちゃんおばあちゃんに連れられて、蒸気機関車が運行される週末に、東武鬼怒川線や真岡鐵道(もおか)で、乗車が楽しまれているそうです。nostalgie(ノスタルジー)、古き良き時代への思いが呼び覚まされるのでしょうか。
(沖縄の路線図、記念写真、鍋山人車鉄道線路、三毳山のバスです)
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