山の渓谷の中にあった家から、父が街中に連れ出してくれて、一度だけでしたが、兄弟たちと一緒に、「サーカス」を観たことがあります。大きなテントの中に階段状の客席が設えてあって、ちょっと高い席から、ピエロや空中ブランコや馬の曲芸があったのを観たのです。何か、パッ!と輝くように楽しかった記憶が残っています。
ヨーロッパにナチスが台頭し、雲行きが怪しくなっていった1933年(昭和8年)3月22日に、「万国婦人子供博覧会」を記念して、ドイツの「ハーゲンベック・サーカス」が、東京にやって来て、芝浦で催されたそうです。大所帯で、団員総勢約150人、動物が182頭の大きな一団だったのです。父が東京で23歳、母が山陰出雲で16歳の時でした。
その公演の宣伝のために、西條八十が作詞、古賀政男が作曲し、松平晃が歌ったのが、「サーカスの歌」がありました。
1 旅のつばくら(燕) 淋しかない
おれもさみしい サーカス暮らし
とんぼがえりで 今年もくれて
知らぬ他国の 花を見た
2 昨日市場で ちょいと見た娘
色は色白 すんなり腰よ
鞭(むち)の振りよで 獅子さえなびくに
可愛いあの娘(こ)は うす情
3 あの娘(こ)住む町 恋しい町を
遠くはなれて テントで暮らしゃ
月も冴えます 心も冴える
馬の寝息で ねむられぬ
4 朝は朝霧 夕べは夜霧
泣いちゃいけない クラリオネット
流れながれる 浮藻(うきも)の花は
明日も咲きましょ あの町
郷愁を感じさせる懐メロです。ディズニー・ランドができてから、子どものためのイヴェントに変化があったのでしょうか、サーカスの公演の噂を聞かなくなったように感じます。街外れの空き地に大きなテントを張って、あの “ ジンタッタ、ジンタッタ ” というな鳴り物を聞かなくなってしまいました。
井上良雄氏が著した、「神の国の証人 ブルームハルト父子」という著書が出た年に買って、三十代だった私は、一気に読んだのです。そこに「サーカス」の記事が載っていました。ドイツ南部のシュバーベン地方のメットリンゲンと言う村で、ドイツ敬虔主義派の牧師で、ヨハン・ブルームハルトと子のクリストフの物語です。
この方の子どもたちは、その地方の大きな街に、国内留学をしていたのです。ある時、お父さんは、子どもたちの下宿先を突然訪ねるました。出張中だったのです。下宿の主人は、隠せなくて『息子さんたちは、サーカスを観に行かれています。』と正直に言って不在を告げたのです。それをお父さんが聞くと、『どれ私も行って観ることにしよう!』と出かけたのです。子どもたちを見下ろす特設の高いところの席に座ったお父さんは、みわたして見つけた子どもたちに、『お父さんも、ここで観てるからね!』と、大きな声をかけたのです。
子どもたちは驚いたのです。父に叱られるとばかり思っていたのに、お父さんが、そんなことを言ったからです。当時、ドイツ敬虔主義というのは、この世の遊びなどを忌み嫌い、世俗から身を引いて生活していて、規律の厳しさが求められていたのに、父に内緒でサーカス見物をしていたから、自責があったのです。
ところが、後に、その弟の方のクリストフは、お父さんの後を継いで助手となり、牧師となるのです。どうも厳格なだけではない、一緒にサーカスを楽しんでくれた父親のあり方に、素敵な過去の体験があって、父の道を、自分も歩むようになった、そうクリストフは述懐しています。
子どもの日々に、父親と共にした良い体験は、人の人生に良い影響力を与えるのでしょうか。私の父は厳格でしたので、悪さをすると拳骨をくらうことがありましたが、キャッチボールをしてくれたり、カルメ焼きを作ってくれたり、揚げ餅を作って、楽しませてくれたり、ドライアイスに入れたソフトクリームを買って帰っては、食べさせてくれました。遊びの体験を、よく父は与えてくれたのです。
私は父に叱られて、父に悪態をついて、面と向かって責めたことがありました。父には父の過去がありました。その過去を責めたのです。それを聞いた父は黙っていました。そんなことが子どもの頃にあって、大人になったのです。ある本の中に、ある時、どなたが書いたのか記録しなかったのですが、一つの格言に出会ったのです。『父は父なるが故に、父として遇する。』でした。
26で結婚した一ヶ月後に、父は入院先の病院で、退院の日に、突然召されてしまったのです。老いて行く父と、ゆっくり温泉に一緒に入って、背中を流して上げたかったですし、父の好物をご馳走して上げたかったのですが、できないままの死別でした。そう「父として遇する」を実践したかったのにです。
この書の著者の井上良雄氏に手紙を書いて、読後の感動の思いをお伝えしたのです。すると井上氏は、シュバーベン語というドイツ語の南部の方言で書かれた、たくさんの資料を送ってくださいました。『簡潔に記されていますから、読んでみてください。』と仰られたのです。そんなバルト神学者との出会いがあって、今日に至っています。
十九世紀のドイツの地方の牧師の生き方に、強烈な影響を受けたのですが、ちょっと生き方の真似をしてみています。中古の折り畳み自転車が、駐輪場に置いてあります。『主がおいでになられました!」というニュースが届いたら、自転車に跨いで、駆けつけるつもりでいるのです。このクリストフ・ブルームハルトの家の前には、いつも馬車が置かれていて、いつでも、主にお会いする準備ができていたことを知ったからです。
馬車や自転車で駆けつけることなどないのですが、《再臨待望の姿勢》としての真似なのです。一人一人、任された場と時があって、それぞれが生きて行くわけです。自分の人生も、もう晩期に至り、親しい友も、同じように述懐して、メールがきています。どうも《締めっくくり》を考えることが多くなってきています。少なくとも子たちに、自分の過去や考えを知らせたくて、書き始めたブログですが、明るい復活の望みのある未来があっての、私の過去と今とを記しているのです。
(「サーカスのテント」、「シュバーベン語の看板」です)
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