道、道、そして道

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 人には、防護本能(防衛本能でしょうか)があるのでしょうか、〈老い〉との対決に違いなく、こちらに越してきてから、車がないこともあって、散歩に励んできたのです。思い返してみますと、『ずいぶん歩いて来たなあ!』と言うのが正直な思いです。

 『正しい人の行く道は平らです。あなたは正しい人の道をならし、平らにされます。(イザヤ267節)』

 山道も、畦道も、外国の道も、車の故障で高速道の端も含めて、この二本の足は、歩き続けてきたので、感謝の思いで、足元を見つめているのです。でも、上を見ないといけません。そこには、どんな凸凹道でも、「平にならされる神」がおいでだったのに気付いて、驚かされています。さまざまな道があるのです。

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「アジアンハイウエー(道路元標 日本橋起点)」

「ASIAN highway 1 終点 トルコのカプクレ)」

「天空の道(熊本阿蘇山)」

「金色の道(JR青森駅)」

「アッピア街道(ローマ街道)」

「日光例幣使街道」

「甲州街道(江戸名所絵の〈日野津〉」

「鯖街道」

「哲学の道(京都)」

「道(映画)」

「奥の細道」

「行く道 来た道」

「帰り道」

「route 66」

「country roads」

「アメリカへの道(新島襄がアメリカ船で密出国した函館港)」

「登山道」

「わたしは道であり・・・(救いに至る道はイエスさま)」

 

 最近は、病院や薬局への道、図書館への道、食べ物を買うためにお店に行く道を歩むことばかりになりました。昨日は、採り立ての野菜を買いに、〈ゆうゆうプラザ〉に、これは自転車で出かけたのです。ついでに、入浴施設にも寄ってみました。

 いつも聞いてきたのは、『あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。(イザヤ30章21節)』と言われる主の声でした。これって永遠不動、永遠不変の道なのです。

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