2025夏、朝顔便り

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 2025年夏、朝顔の成育状況は、期待が大きかったせいか、不作、不生育なのです。唐代の長安の都に咲いていたであろう、喇叭花に、留学生たちが慰められたのでしょうか、帰朝の折に、持ち帰ったタネが、庭先を飾り、日本人が愛でる花の一つとなったのです。

 大好きな朝顔を咲かせたくて、華南の街に住み始めて、帰国して戻る時に、朝顔のタネを携えたのです。この街では、他には見かけませんでした。和園の7階のベランダで、春先に鉢植えにしましたら、翌年の正月まで咲くほど、わが家では長寿だったのです。

 その代わりにでしょうか、今夏は雷様が活発で、いったん、かき曇った途端に、雷鳴が轟くように鳴り渡り、雷光と雷雨の夕方となっています。今も、ドスンと言う音に、窓ガラスが震えたのです。

 夏に風物詩の朝顔と雷に、もう満足な私は、猛暑を厭うことなく、喜んでいるのです。ただ、わずかに咲こうとしている蕾が開かないで、萎れていくのが悲しいのです。この日曜日に、投票所に、家内と二人で歩いて行く間に、朝顔を植えた玄関先の花が、開いていないと言うか、花を付けていないのです。

 朝になると、ベランダに出て朝顔に棚を見ると、開いていない毎朝なのです。それでも、この暑さが緩んで、少し涼しくなったら、その分、遅咲きになってくれるのでしょうか。ちょっと期待しているのです。

(写真は、今夏一番咲きの朝顔です)

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わたしの前を歩けと言われる主が

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 人や物を運ぶために、陸空海の道路や航路などの整備がなされ、高速道路網も、鉄道路線の新幹線網が広げられ、航空機路線も各地に拡大されていて、当世は、ビジネスでも観光でも、旅行がしやすくなってきています。とくに国内は、治安も景観も、飲み水も食べ物も安全ですし、どこへ行っても、どこに住んでも、日本は快適です。

 東海道五三次を、弥次喜多の両人に旅をさせた旅行記を、十返舎一九が、「東海道中膝栗毛」を発行させて、大人気を呼びました。江戸文化の滑稽本は、庶民に支持されて、大きな反響を呼んでいたのです。昭和の子の自分も、その珍道中の話を聞いては、興味を引き出された覚えがあります。

 この、弥次喜多道中は、相当な路銀を必要とした旅になっていますが、まあ誰にもできるものではなく、そんな旅には行けない人を、旅したつもりにさせたのは、一九の筆の才腕だったことになります。同級生が、朴歯(ほおば/高下駄)履きで東海道を、「日本橋」から京の「三条大橋」まで歩いています。

 それとは反対に、奥州路を旅しています。まさに行状記で、「奥の細道」は、俳句を織り交ぜ、陸奥や北陸を、徒歩で旅をし、時には馬の背に揺られたこともあった様に記しています。でも、ほとんどの路程を歩き通しているのです。まだ鉄道の敷かれていない時代ですから、健脚であっても、「三里に灸(きゅう)」をして旅立ちの準備をしたと、その序にあります。

 長い旅をするのに、そうするのは、あの頃は普通のことだったのでしょうか。足には、「足三里」と言う箇所があるのを、初めて知ったのです。両膝の指三本外側の部分なのだそうです。漢方医学、鍼灸学のツボで、スタートライに立つ走者が、かがみ込んで両手で、その部分を叩いているのを見られます。

 そういえば、人生走路を歩いたり、走ったり、または止まったりするように、この二本の足で歩いてきました。『這えば立て、立てば歩めの親心。』と言われますが、はい始めた時も、立ち歩きをした時も、父や母や兄たちは喜んでくれたのでしょう。そこから、どれほど歩いてきたことでしょうか。

 それを距離を積算してみたら、途方もなく長い道のりを、今日まで歩いてきたことになります。お菓子屋への道を、万里の頂上の上を、ブエノスアイレスの鋪道を、シンガポールの日本軍が自転車で入場した道を、一人で、二人で、家族で、そして、この街の例幣使街道を歩いて来ている石切りーのです。

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 先日、この街にある「綱手道」という道があります。巴波川で「舟運」が、盛んに行われていた時に、水夫(かこ)と呼ばれた男たちが、この道を歩きながら、都賀舟を曳いて歩いた道を、そう呼びます。

 散歩中に、ふと思い立って、この道を歩きたくなったのです。30cm四方に石切り鑿(のみ)で、荒く切り刻んだ石が引き詰められた道で、踏ん張るにはちょうど良くされた道を歩いたのです。ずいぶん歩きにくい道で、途中にその道が切れて、小川が流れ込む砂地があり、その上を歩いてズルっとしたので、引き返しました。ピッチの高い石段を上り下りした後、200mほど歩きましたら、左足に激痛が走ったのです。

 かがみ込むようにして休んでしまいましたそんな痛みは初めてのことでした。娘に、『お父さん、深呼吸してからね!』と言われた、深呼吸を忘れて、綱手道に降りたのがいけなかったのでしょう。けっきょく整形外科に行って、診てもらいましたら、半月板損傷かも知れないとのことでした。様子待ちの今なのです。

 さて、「歩く」と言うのは、生きること、生活を意味しているようです。思い返すよ、無駄歩きも多かったし、好ましくない場所に歩いて行ったこともありましたが、帰ってくる家、家族があったことを感謝をする今なのです。父の家にその場所があり、家族を持った私の家にも、子どもたちが帰って来る場所あり、二人だけになっても、二人で過ごせる場所があるのです。

『そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。(新改訳聖書 イザヤ58章8節)』

 青年期に出会った主なる神さまは、「義」が前を、「栄光」がしんがりとなってくださり、アブラハムには、「わたしの前を歩み(創世記17章1節)』と言われたように、この私にもその歩きに招かれて、今日に至っております。まさに、「しんがりの神」こそが、私の神でいらっしゃいます。

(”loose drawing “ の「歩く」、ウイキペディアの「綱手道〈写真の右下)」です)