タスクフォース

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 NHKのラジオニュースで、「タスクフォース(task force)」と言う言葉が語られていました。『タスクフォースはもともと軍事用語で、軍隊がある特定の任務を遂行するために組むチームのことを指していました。 それがビジネスに転じ、今では重要課題を遂行する臨時のチームをタスクフォースと呼称しています。』と、ネットで検索しましたら出てきました。

 朝の7時のニュースでしたから、けっこう年寄りの聴取者が多くて、『何言ってんのか分かんないー!』、一人でした。10年間、英語を学んだのですが、皆目分かりませんでした。“ task”は、仕事のことで、“ force ”は力のことなのでしょうけど、どのような場面で、何を言ってるのか、何で朝のニュースで使うのか、ニュース言語としての解説がないと解せません。

 ラジオニュースの原稿を書く部署があって、使われる言葉を確かめる方もいるのではないでしょうか。最近、そう言ったことが多くあります。聴取者の理解力以上の外来語を、カタカナ語で語られるのには、見当がつきません。一度や二度のことではなく、最近、とみに多いのです。歴とした日本語があって、日本の社会の中での公共放送であるなら、辞書を引かないでも理解できる言葉を使うべきです。

 このNHK放送には、「やさしい言葉ニュース」と言う番組があって、そこでは、ことばに注意が払われていて、日本語にまだ精通していない外国人にも、理解できるように語られているようです。年寄りにも配慮をして欲しいと思うことしきりです。

 昔を語るようになった自分は、確り年寄りですが、あの頃のニュースアナウンサーは、詰まったり、言い間違えたり知ることがほとんどありませんでした。第二放送で、気象情報を担当されていて、『鳥島では、風力〇〇・・・〇〇ミリバールで晴れ!』と言う風に、聞き覚えのない地名の天気概況を読み上げていました。それは、アナウンサーの訓練も兼ねていたそうで、今でも放送しているのでしょうか。

 最近のアナウンサーには、番組にもよりますが、言い淀んだり、ツッかったり、笑い声をあげたり、よけっ口をきく方もいます。時代は時代で、民間放送局の名(迷or妙)アナウンサーの個性的な語り口と、違いがなくなりつつあります。

 そう言う私に、『じゃあやってみな!』と言われそうですね。昭和の世に、中西龍(りょう)と言うナウンサーがいました。特徴的な喋りで、1977年から1991年まで放送された「にっぽんのメロディー」を担当していました。同窓のよしみもあって、この番組が、大好きで布団の中で、イヤーフォンで聴きました。

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 異色のNHKアナウンサーで、鹿児島局に勤務中、この時期の甲子園を目指す高校野球の実況中継放送を担当していた時に、『お母さん、あなたの息子さんが、バッターボックスに入っています!』と言ったのです。まず、そんな個人的なことを、マイクロフォンに向って喋れるアナウンサーは特異でした。

 ほとんど、お話の間に言葉をかんだり、言い淀んだりすることはありませんでした。あの世代の“ professional spirit”の持ち主、権化だったのでしょうか。

 父の職場に、何かの特集で、放送の録音に来られたアナウンサーがおいででした。まだ地方局勤務だった頃で、父にインタビュウをしていました。東京局に帰って行かれて、テレビ番組の夜7時のニュースを担当していました。父の世代、戦後間もない頃の、“ Mr.NHK” の雰囲気の方でした。父が懐かしそうに、この方のニュースに、聞き入っていたのを覚えています。

 どの社会の分野も、そう言った方々の愚直に努力した世代が、懸命に働いていた時代なのでしょうか。無駄に思えるようなことが、実は多大の価値のあったことに生きた世代です。教会も、教育研究界も、企業体も、官庁も、同じなのでしょう。この方々と比べてしまうのは、今のみなさんには不当かも知れませんね。でも、確りした所帯骨、根幹を作り上げた世代がいて、今があるのでしょう。

 視聴者が、考え込んでしまうような、「タスクフォース」なんて言葉を聞かせるようなことがなかったな、そう思わされた、今日の私です。

(ウイキペディアによる、昔の「マイクロフォン」、1955年頃の「ラジオ」です)

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