『主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。 「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。 わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。 その祭司らに救いを着せよう。その聖徒らは大いに喜び歌おう。 そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている。 わたしは彼の敵に恥を着せる。しかし、彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。」(詩篇132篇13~18節)」
イスラエルの民は、年に三度、民族的な行事として、「都上り」を励行していました。「過越の祭り」、「七週の祭り」、「仮庵の祭り」に、エルサレムの神殿に、捧げ物を携えて、それぞれの町や村から、青年男子は上るのです。
彼らは、黙々と苦行者の様にして道を歩んだのではありません。神への讃歌を喜び歌いながらシオンに入ったのです。その歌は、「詩篇」の「都上りの歌」と呼ばれる、120〜134篇のダビデの詩でした。実は、この詩篇にmelody をつけた賛美chorus があり、よく礼拝の折に賛美したことがありました。
イスラエル人、ユダヤ人にとっては、生ける神、エホバとかアドナイと呼ばれる神を礼拝するための「都上り」でした。流浪の民ユダヤ人は、世界のどこに居留しても、エルサレム、シオンを、故郷の様に思い、「シオンに住まれる主」への礼拝、感謝、賛美を捧げたのです。その離散した地から、19世紀になると、Zionism と言われる民族的な動きが起こり、世界中に散っていたユダヤ人たちに、「シオンに帰ろう!』とする思いが湧き上がって、ついに、1948年5月14日に、建国に至るのです。
東京に遷都されるまで、京都が日本の都でして、「京に上る」という言い方で、位置付けられていました。ところが明治維新以降、東京が都に定められてから、鉄道網が敷かれていき、全国を網羅する様になるのですが、どの列車も、東京に向かって走る列車は、「上り(のぼり)列車」になっています。
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昨日、上の息子が出演するという「レイアロハ・フェスティバル」が行われる「新小岩公園(東京葛飾)」に、急遽行ってきました。まさにわたしにとっては、下野栃木からの久々の「都上り」だったのです。貰ってもいけないし、上げてもいけない「コロナ」のことを考えたのですが、春の晴れた晴天の下、野外で行われる festival ですので意を決したのです。
東武日光線、東武亀有線、JR総武線と乗り継いで、新小岩駅で降りて、荒川の流れの端の広大な区立公園で行われた、Hawaiian festival に参加したわけです。招かれてお話や司会をする息子の応援でした。15でハワイのヒロの高校に入学して学び、ハワイの教会で奉仕をした経験がありますので、挨拶語もシャツも、『Aloha!』が、彼には似合っていました。
主催者の方の賛美も、フラダンスも、お話もみんな素晴らしかった週末の土曜日でした。そこは、まるでハワイでしたが、フラダンスや模擬店やお店の賑やかさ以上に、フラで賛美をした最後のステエジは圧巻でした。一時、生ける神が崇められたのが最高に有意義な時だったのです。都のはずれ、下総国の境の片隅で、主が褒め称えられたのは素晴らしいことでした。こんな「都上り」だったら、毎週出かけてみたいものです。
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