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 間もなく迎える五月、そこで日本の食卓に欠かせないのが、「かつお」なのでしょう。江戸っ子は、女房を質に入れてでも、「初鰹」を食べたかったそうですね。当時は、極めて高値だったそうで、<一匹小判一枚>だったとかでした。

 「かつお」を食べさせてくれる食堂に、何度か行って注文したのですが、ニンニクを薄く切ったものを載せて食べる様にされているのです。江戸っ子も、そんな風にして食べたのでしょうか。おろし生姜の入った醤油で食べたら飛びっ切りでしょう

 鎌倉を生きて出でけむ初鰹 芭蕉

 華南の地では、海が近いので海鮮料理が人気があるのですが、刺身やタタキにする食習慣がありません。空前の日本ブームで、若いみなさんは、日本寿司店で、サーモンの刺身を食べる様になってきていたのです。北欧から輸入されてた「鮭」に人気がある様です。

 滞華中に、食事に招いてくださった方が、「鮭の刺身」を、私たちのために注文してくださったことがありました。「醤油」が、中国製醤油でした。もし「生醤油」で、おろし生姜があったら美味しかったのにと、ちょっと残念でした。

 何年も前に、土佐の高知に出かけた時に、お土産で、「かつおのタタキ」を買って帰ったことがありました。スーパーで買うのとは違った美味しさを感じて満喫したのです。この高知は、「鰹漁」で有名で、<一本釣り>の漁をするそうです。ところが、その漁をする漁師さんが年々減ってきて、人手不足の危機感を感じているというニュースを聞きました。

 東シナ海に、漁に出て遭難されたお父さんと息子さんを亡くされた親戚の奥様が、漁村におられ、この婦人を親族の一人として、激励しようと計画されて、誘われて一緒に訪ねたことがありました。「板子一枚下は地獄」と日本の漁師さんは、漁撈の危険性を言うのですが、こちらの漁民のみなさんも同じ様に、天気や潮次第で、人力では超え難い困難がつきものです。

 1832年、知多半島の小野浦から、千石船に船子14人を乗せた宝順丸が嵐に遭遇して、14ヶ月も太平洋を漂流してしまいます。アメリカの西海岸に漂着したのですが、乗員14人中、三吉(岩吉・久吉・乙吉)の3人だけが助かったのです。

 華南の漁村から漁に出た船と、連絡が取れず、『遭難したらしい!』とのことで、行方不明のお父さんと息子さんの無事をと、お祈りをお願いされて、お祈りしたことがありました。その時、この助かった三吉のことを思い出して、ご無事を願ったのです。

 今では漁労技術や漁労法、石油動力の漁船があって、安全に操業できるのですが、自然の猛威の前には、大海の漁船はどうすることもできません。田や畑を耕すのとは違って、漁業は命懸け、そんな苦労を覚えながら、今夕は、《海の幸(さち)》、旬(しゅん)カツオがいいなの四月です。