巴波の春

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 窓の下を流れる巴波川を眺めていると、時間が time slip してしまった様に、江戸の代に、都賀舟(米俵を五十俵ほど積める浅底の舟)で、渡瀬川の部屋まで下った様子が目に浮かんできそうです。そこで荷を、高瀬舟に、積み替えたのだそうです。

 この江戸に向かう舟には、米、麦、味噌、野菜、木材、薪炭、石灰、獣皮などを乗せたそうです。逆に、江戸からは、日光御用荷物をはじめ、塩・鮮魚類・ろう・油・黒砂糖・干しいわしなどが積まれて来て、部屋の船着場で、荷を載せ替え、「水夫(かこ/船頭)」と呼ばれた人足が、綱を引いて、栃木の河岸まで運び上げたのです。

 川の端には、「綱手道」が残されていて、三尺(1m)ほどの幅の道を、草鞋(わらじ)ばきで、手綱を肩に引き上げたのです。ものすごい重労働に従事する人たちがいたと言うことです。その河岸には、蔵があって、そこに運込まれて、商人たちが売り捌いたのでしょう。買うと、肩に負ったり、牛馬に轢かせた荷車で、各地に運ばれてたのでしょう。

 今住んでいるアパートの前の大家さんは、その船主だったそうで、売り上げの出納帳などを見せていただいたことがありました。ですから、ここ商都栃木は、長く繁栄していたのでしょう。喜多川歌麿を支援した旦那衆が、その船主たちだったそうで、江戸文化の流れに触れてもいたのでしょう。

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 巴波公園の近くの塚田家の船着場に、今は遊覧船に替わって、一人千円で船遊びをする客たちが、船頭歌を歌う声が聞居ている姿を、昨日も見かけました。

栃木河岸より都賀舟で
流れにまかせ部屋まで下りゃ
船頭泣かせの傘かけ場
はーあーよいさーこらしょ

向こうに見えるは春日の森よ
宮で咲く花栃木で散れよ
散れて流れる巴波川
はーあーよいさーこらしょ

 きっと、桜が開いた今頃は、船の行き来が賑やかだったのではないでしょうか。今日も、市役所の帰りに、家内と川辺の道を歩いたのですが、川面の両岸に、今年新しくされた鯉幟が渡され、その数は、1000匹だそうです。綱に引っ掛かってしまった鯉幟を、家内が綱を揺すって、解いてあげていました。ちょっと寒い日でしたが、春到来です。

 

(巴波河畔に昨日咲いていた桜です)

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