ローカル鉄道

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 童謡の「汽車ポッポ」は、作詞が富原薫、作曲が草川信で、リズミカルなメロディーで、子どもたちが大好きでした。

汽車(きしゃ) 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕等(ぼくら)をのせて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓(まど)の外
(はたけ)も とぶ とぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋(てっきょう)だ 鉄橋だ たのしいな

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
汽笛(きてき)をならし
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆかいだ ゆかいだ いいながめ
野原だ 林だ ほら 山だ
走れ 走れ 走れ
トンネルだ トンネルだ うれしいな

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
けむりをはいて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
ゆこうよ ゆこうよ どこまでも
明るい 希望が 待っている
走れ 走れ 走れ
がんばって がんばって 走れよ

 ポッポ シュッポ シュッポ シュポッポ"の蒸気機関車など、電化と共に消えて行き、映画やアニメ、Youtubeなどでしか見られなかったのですが、最近では、あちらこちらで観光用に復古されているのです。今回、東武日光線、鬼怒川線、野岩鉄道を利用したのですが、どこかの駅で、蒸気機関車を見かけたのです。

 コロナ禍以前、日光の宿泊施設に出かけた折、下今市駅で見かけることがあって、週末に運行されていた様です。でも、また再開されるのでしょうか、「大樹」と名付けられた東武線の観光用の蒸気機関車でした。

 中学の時に、立川駅から五日市線が出ていて、中央線が電化されていたのに、ローカル線なので最後まで、蒸気機関車に牽引される列車が運行のために残っていたのを覚えています。〈鉄ちゃん(鉄道フアンの呼称です)〉ではない私でも、あの蒸気と煙に、何とも郷愁を感じてしまいます。蒸気で車輪を回す力強さは、男の子の憧れだったのではないでしょうか。

 中央線は、笹子峠の手前で、スイッチバックをしていました。一気に登り切ることが、蒸気機関車ではできなかったのです。記録映画で観たことがあるのですが、東北のローカル線では、3台の蒸気機関車で牽引しないと登れない峠もあった様で、今では廃線になってしまいました。とにかく、夏場、トンネルに入ると、一斉に窓を閉めなければなりませんでした。開けていたら煤煙が入り込んでひどい目に会うからです。

 何でも手でする時代で、面倒でしたが、全てが自動になってしまった今になると、何もかもが懐かしくて、便利さの陰で、情緒が失われてしまったことが悔しいくらいです。駅で窓を開けて、駅弁とお茶と氷ミカンを買って食べさせてくれた父や母の顔が浮かんで参ります。窓から出入りしたこともあったのです。

 もう、ほとんどの特急電車や寝台電車がなくなってしまったそうです。ゆっくりと汽車の旅ができなくなってしまいました。亡くなられた鄧小平氏が訪日され、初めて東京から「東海道新幹線」に乗られた時、『後ろから押しこくられる様でした!』と感じたと言われていました。そうですね、私も無理に急がされている様に感じてなりません。これからは、ゆっくりと旅も人生も過ごしたいものです。

 東武鬼怒川線の新藤原駅から、「野岩(やがん)鉄道」が35年ほど前に開通され、今では、会津若松駅に繋がっているのです。その湯西川温泉駅は、地下にあって、会津方面は、ホームの先に、湯西川の鉄橋が見えます。その先は福島県で、白虎隊の会津に行くことができるのです。

新藤原駅方面は、長いトンネルが続いていますから、もし蒸気機関車の牽引の列車でしたら、煤で顔も何もが真っ黒になっていることでしょう。今回の旅行(栃木県の県内の旅でした)で、すっかり、ローカルの鉄道への興味が湧き上がってしまいました。都会人よ、コロナが明けたら、街を後にして、ローカル線の旅に出よう!

(「野岩鉄道の湯西川温泉駅に着こうとしてる電車、路線図です

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