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日本全国に、「平家落人部落」があるそうです。『おごる平氏にあらざれば人でなし!』と権勢を極めた平氏は、「源平合戦(承久の乱などがありました)」で敗れてしまったのです。政権を握ったのは源頼朝でした。その頼朝の執拗な追跡を逃れて、平氏は全国に四散してしまいます。安住の地を求めて、宇都宮に逃れてやって来た一族は、そこから、この湯西川の地にたどり着いて、住み始めたと言われています。
東武鬼怒川温泉駅からバスに、家内と二人で乗り(乗客は他に途中で降りたご婦人と途中で乗って来られた老年の男性の二人でした)、1時間ほどの山道を、バスに揺られたのです。こんな奥深い地に、どの様にして、山を越え、川を渡って来て、住み着いたのでしょうか。死を逃れるための必死さがあっての今なのでしょう。
その昔、男の子を産んだ母親が、それを愛でて「鯉幟(こいのぼり)」を挙げたのが、源氏の追跡団に見つかって討伐されたのだそうで、逃れた者たちの子孫は、今でも鯉幟は挙げないのだそうです。度々の火事で、古文書などの記録は消失してしまっている様です。また戦時中には、残されていた刀や槍などは持って行かれ、鉄兜や弾丸になってしまったのです。
明け方に、ペンションの近くの白樺の林の中で、鶯が鳴く声がしていました。残雪の残る道を、峠まで散歩して来たのですが、何か趣が感じられ、源氏の末裔の私は、思うところ様々でおります。山懐に、こんな部落があって、電車(野岩鉄道)が開通してから、温泉地として脚光を浴びた様です。源平の代(よ)って、どんな時代だったのかと、鎌倉武士の末裔の父の子ととして、思うことの不思議さを覚えてしまいました。
(湯西川上流、平氏にまつわる記事です)
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