.
.
明治35年(1905年)、武島羽衣の作詞、田中穂積に作曲の「美しき天然」は、佐世保女学校が開校し、その音楽教育のために、校長が依頼して作られたものです。
1 空にさえずる鳥の声
峯より落つる滝の音
大波小波とうとうと
響き絶やせぬ海の音
聞けや人々面白き
この天然の音楽を
調べ自在に弾きたもう
神の御手(おんて)の尊しや
2 春は桜のあや衣
秋はもみじの唐錦(からにしき)
夏は涼しき月の絹
冬は真白き雪の布
見よや人々美しき
この天然の織物を
手際見事に織りたもう
神のたくみの尊しや
3 うす墨ひける四方(よも)の山
くれない匂う横がすみ
海辺はるかにうち続く
青松白砂(せいしょうはくさ)の美しさ
見よや人々たぐいなき
この天然のうつし絵を
筆も及ばずかきたもう
神の力の尊しや
4 朝(あした)に起こる雲の殿
夕べにかかる虹の橋
晴れたる空を見渡せば
青天井に似たるかな
仰げ人々珍らしき
この天然の建築を
かく広大に建てたもう
神の御業(みわざ)の尊しや
この様に、明治期の女子教育の教材に、創造の美や神秘を讃える歌を用いたことは、驚くことです。造陸運動や造山運動の結果、偶然に出来上がったものではなく、意図され、計画され、綿密に図られて大自然は出来上がっているのです。考えられないほどの知恵によってなる天然自然は、ただ畏怖するばかりです。
同じく、明治期に、札幌農学校に学び、アメリカのアマースト大学に留学した内村鑑三は、後年、次の様に、「学ぶべきものは天然である」と言いました。
.
.
『人の編(あ)みし法律ではない、其(その)作りし制度ではない、社会の習慣ではない、教会の教条(ドグマ)ではない、有りの儘(まま)の天然である、山である、河である、樹である、草である、虫である、魚である、禽(とり)である、獣(けもの)である、是(こ)れ皆な直接に神より出(い)で来(きた)りしものである、天然は唯(ただ)天然ではない、神の意志である、其(その)意匠(いしょう、→工夫を凝らすこと)である、其中に最も深い真理は含まれてある、天然を知らずして何事をも知ることはできない、天然は智識(ちしき)の「いろは」である、道徳の原理である、政治の基礎である、天然を学ぶは道楽ではない、義務である、天然教育の欠乏は教育上最大の欠乏である。』
真っ赤に燃える様な月を、父の家の風呂桶の湯に浸かりながら、子どもの頃に眺めていたことがありました。母が、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 (ヨエル2章3節)」と教えてくれていましたので、その晩に、この世が終わるのかと、恐れ慄いて眺めていたのです。
あの晩は何も起きませんでしたが、天然自然は、黙していても、何かを語りかけていることを学んだのです。太陽が燃えて輝き、その光を受けて月が輝いていること、その光で万物の命が保たれていること。何万光年の彼方から、星の光が瞬いていること、地球が中空に浮かんでいること、しかも自転しながら、太陽の周りを公転していること。
ふと自分がチッポケなことを知らされて、足が竦(すく)んでしまったことがありました。ベランダの鉢の土の中で、あんな硬い種を破って、ひ弱な芽が出てきて、ズンズンと大きくなっていくミニトマトや朝顔の朝ごとに伸びていく芽を見ていると、《命の神秘》を、強烈に思い知らされるのです。
それよりも何よりも、母のた胎に宿った私が、か弱な赤子として生まれ、ヒイヒイ言いながら、母に乳房をあてがわれて母乳を吸って大きくなったのを思い返しています。自分一人で大きくなったのだと、偉ぶって錯覚して、母や父に悪態をつき、反抗し、兄弟喧嘩をし、外で人を殴る様な小僧になっていったのを思い返すと、恥ずかしくて仕方がありません。
賢い創造者の御業は、この地上に、天空に溢れています。人は、その精緻な有り様を知りながらも、『神はいない!』と言ってるのにも驚かされます。『ああ麗しきかな、神秘なるかな天然は!」
.