配慮

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 華南の街の古街の一郭に残る、たぶん清朝に作られた家並が、残されてありました。古く由緒のあるものを、後の代に遺したらいいのですが、今では、多くの街で壊されていたり、人の手が入ってしまって、建築当時の趣が薄れてしまっています。屋根の端、隣家に繋がる部分に、見事な「梲(うだつ)」が残されていました。それだけを見たくて、なんども足を運んだのです。とった写真が、どこかに行ってしまったのは残念です。

 その役割は、火事が延焼しないための防火壁なのです。今住んでいます家の隣りに、去年の19号台風で、私たちと同じ様に被災した家族が、同じ時期に前後して、移り住んでこられています。ご夫婦は三十代前半で、小さな子さんが二人おいでです。先日、駐車場でお会いして、しばらく話をしていました。『そう、家を買いまして、来月引越しすることにしたのです。しばらくでしたが、お世話になりました!』と、ご主人がおっしゃられたのです。

 そうしますと、この若いご主人は、まもなく《梲を上げられる男》になるのです。〈梲が上がらない〉という言葉が、次の様に解説されてありました。

『町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになります。
自己の財力を誇示するための手段として当時の豪商たちがその富を競い合うようにそれぞれに立派なうだつを設けました。
うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、比較的裕福な家に限られていた。これが、生活や地位が向上しない・状態が今ひとつ良くない・見栄えがしない、という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられます。』

 そうしますと、この私は、〈梲の上がらない男〉で終えそうなので、ちょっと羨ましく、その引越しの話を聞いていたのです。中学一年の時に、国語の教師から、『準、こんな字を書いていたら、お前は出世しないぞ!』と言われたのですが、言われた通りに、無出世で今日に至りました。持ち家に住もうとする願いも、全くなかったのです。家内も、私に、『自分たちの家が欲しい!』などと、一度も言わずに、

 ♭ この世では貧しい家に住んでいても 心楽し
 み国では 約束の家が待っている ♯

と歌うだけで、なんとも思っていません。でも先人たちが、自分の家が火元になって、隣家に延焼してはいけないと、どれほどの効果があったか分かりませんが、防火壁を設けたというのは、心掛けとしては心憎い配慮であったわけです。

 この栃木の街は、火災に何度かあったとかで、今ある古民家は、幕末から明治期に建てられいて、火災を免れたものだそうです。それに、一軒一軒が独立していますので、屋根に立派な瓦が載っていますが、「梲」は見当たりません。川のほとりに家を建てたのも、そう言った配慮からだったかも知れません。

(絵の中央部に見える白い壁の部分が「梲」です)

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