やはり秋

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 生まれ故郷から遠くに望み見る山姿は、山の頂上が鋭角で、刺々しくて、『近寄らないで!』と拒んでいる様な姿に見えてしまいます。入笠山から見る八ヶ岳も、振り返って見上げる南アルプスも、中部圏の山岳風景は、だいたい角(つの)を突いている様に見えるのです。

 ところが、熊本に恩師がいた時期があって、家内と友人夫妻とで、彼を訪ねたことがありました。阿蘇の外輪山に案内していただき、噴火して砕けた噴石が引き詰められていて、不毛の地でした。また怪我をして、友人の好意で、お父様の別荘に温泉があるとのことで、湯布院に家内と行って、一週間、温泉でリハビリしながら過ごしたことがありました。由布院も阿蘇も、そこから見られる山は、なだらかで、女性の肩のように優しく思えたのです。

 大分の九重連山も、長崎の雲仙、鹿児島や宮崎両県に広がる霧島も、おおよそなだらかな山容を見せています。九州の山姿は、遠望しただけで、登ったことはないのですが、中部山岳に比べてみますと、一様に高くも、険しくもないのが特徴でしょうか。

 上海から航路で帰国した時に、船の進行方向の右手に、まず見えてくるのが、五島列島です。緑の樹々の色が印象的でした。一年ぶりの帰国なのに、そんなに感傷的になっているのではないのですが、至極懐かしい思いがしたのを思い出します。大陸に比べて、手狭な島の姿は、あまりにも小さいのですが、やはり「ふるさと」を強く感じさせてくれたのです。
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 若い頃から、山歩きが好きで、奥多摩には、一人で出掛けて、山道の標識を見ながら歩き、仕事をし始めてからは、山歩きの好きな上司に誘われて、登山というよりは山歩きをしました。JR中央線の終点の高尾を降りて、高尾山から明治の森を通って、相模湖に抜ける山道は、特に冬場の木の葉の落ちた枯れ林の中を、カサカサと枯れ葉を踏んで歩くのが大好きでした。

 華南の街にいた時も、バスで森林公園まで行って下車し、その脇道を登って行き、W字の様に、またM字の様に歩いて、別の麓に戻るコースを歩いたりしました。日本とは山歩きのマナーが違っていて、大きなボリュームでCDやラジオを腰にぶらさげて聞き歩きを、平気でしている人に、文化やマナーの違いを感じたりしていました。

 この春には、足尾まで電車で行き、そこから奥日光を路線バスで走って、東武日光駅までのコースをとりましたが、秋には、紅葉の美しい道を歩こうと思いながらも、果たせないまま十一月になってしまいました。北に見える男体山に登って見たいのですが、けっこう高くて険しそうです。北関東の奥は、信濃や越後国で、山の懐が深い土地柄です。
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 作詞が斎藤信夫、作曲が海沼実、歌が川田正子で、「里の秋」の歌詞は、次の様でした。

1 静かな静かな 里の秋
お背戸(せど)に木の実の 落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた

2 明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜はー
ああ父さんの あの笑顔
栗の実食べては 思い出す

3 さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ父さんよ 御無事でと
今夜も母さんと 祈ります

 ここで歌われているお父さんは、東京に出稼ぎに出ているのでも、遠洋漁業で南太平洋に出かけているのでも、入院しているのでもありません。この歌が、最初の歌詞で作られたのが、戦時中でした。お父さんは兵士、戦地に出掛けていたのです。そこには、「ご武運を・・・祈ります」という歌詞がありました。それを戦後、歌詞を変えて発表された歌でした。

 果物屋の店頭から、もう栗は消えてしまっています。赤く色づいた柿、黄色なみかんが目を引く季節になってきました。先週、連れて行っていただいた、市営の運動公園の木々も、葉が黄金色に変色して、広がった青空に映えて、深まりゆく秋を感じさせてくれました。

(阿蘇、霧島、足尾の風景です)

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