芋虫の様に

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 圧政に苦しむ領民が、命をかけて、江戸おもてのお殿様や将軍様の行列の前に、白い死装束で出て、割り竹の先に、直訴内容を認めた訴状を差し出す「直訴」の光景を、映画で観たことがあります。あの谷中の住人・田中正造が、足尾鉱山の鉱毒被害の惨状を、明治天皇に直訴したと歴史が伝えています。

 また「陳情」は、『[名](スル)目上の人に、実情や心情を述べること。特に、中央や地方の公的機関、または政治家などに、実情を訴えて、善処してくれるよう要請すること。また、その行為。「国会に陳情する」「陳情団」』と、“ goo辞書 ” にあります。

 今年は、特別な業界以外、おしなべて経営状態が悪くて、実情を知ってもらう、「陳情団」が多そうです。「時刻表」を発行してきていて有名な「JTB(日本交通公社)」が、観光業界の窮状を、〈お上〉に訴えて、“ go to トラベル ” が、国がある程度の旅行費用を負担して、人を観光地に連れ戻し、観光業を支えています。

 そう言えば、昔、『よっしゃー!』と言うと、道路でも新幹線でも橋梁でもトンネルでも、すぐに工事が始まって、作ってしまう総理大臣がいました。選挙の地元民は、たいへんな恩恵にあずかったそうです。また、今では駅周辺がたいへんに栄えているのですが、東海道新幹線の「岐阜羽島駅」ができた当初、その駅前は延々と田圃でした。何度かその様子を、新幹線の中から見たことがあります。この駅の設置、開業も有力な人物の肝入りだったのです。

 その反面陳情の太いパイプ、実力のある〈お上〉への伝(つて)のない業界は、顧みられないで、破産に追い込まれたり、多くの失業者を生み出してしまいます。命を死守することよりも、経済優先が、どんな結果を生むのでしょうか。芋虫が伸びる直前は、思いっきり身を縮める時期があります。コロナ禍の時期、疫学や医学の従事者は、「自粛論」を呼び掛けました。終息のためには、全世界が、身を縮めて耐えて、待つ以外に、この猛威を抑え込むことができないと専門的な判断をして、ずっと声を高く言い出し続けてきています。

 人は、お金があっても生きていなければ、何もできません。生きているなら解決の知恵を寄せ集めて、終息に向かうことができると、私は信じています。大局的にものを見て判断して決定しないと、〈欧州の三分の一〉もの人々を死なせた「黒死病」の様な、歴史が記す結果に終わらないとも限りません。疫学も病理学も医学も、現代医学にはお呼びもつかない時代の世界中で
の流行でしたが、いつの間にか黒死病は終息したのです。

 若い頃、勤めていた私学教育の団体は、研究所を作り、東京郊外に広い敷地を持っていました。釣りもでき、散策できるほどでした。ところが宅地業者に売って、経営改善を図らなくなってしまったのです。それで所管の官庁の大臣に、経営改善の財政的な援助を願い出ていました。選挙の圧力団体でもありました。しかし半世紀経った今、その団体は、一人の担当者を残すのみとなってしまっています。陳情効果がなかったのか、時代の要請に叶わなくなって団体自身が不要とされたのでしょうか。根幹なこと、第一義的なことに不足があったに違いありません。

 《第一義的なこと》を励行しないなら、次の対策は出てきません。自分や自分の縁者だけの幸せや安全を願うだけで、国全体、世界大にものを考え、思わないなら解決の糸口が見出されません。政治的な判断が、医療の専門家の意見を封じ込めていては、収まるものも収まりません。個々人は、専門家の意見を聞いて、日常の手洗いやマスクの着用、必要最低限度の外出を励行することです。そうして切り崩す以外に、終息に至らなそうです。その感染させない努力の集積が、良い結果を生み出しそうです。

(観光経済新聞の記事です)

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