生きよ!

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 中国で日本語を教えている時に、「日本文化」の講座で、日本の社会問題の一つとして、「自殺」を取り上げたことがあります。実は、『東アジアは、自殺件数や割合が、欧米諸国に比べて、際立って突出している!』という前提でしたが、確かにそう言った傾向は見えます。朝鮮半島が二分された大韓民国は、北朝鮮に比べて、アジア圏では突出して多いのは事実です。しかし世界全体を見ますと、違った動きが見えてきます。

 世界では、旧ソヴィエト連邦に所属したロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、南米のガイアナの自殺率(人口10万人比)が高いと、WHO(世界保健機構)が、2016年の統計として報告しています。中国の統計は作為的で信じられませんが、その自殺者の実数は、夥しく多くいると思われます。

 長いこと日本では、とくに1998年から2012年まで、三万人以上の自殺者が出ていました。それ以外の年でも、2万人前後の自殺者数があります。今年の春以降、新型コロナインフルエンザの猛威で、日本では、コロナに直接間接の影響があっての自殺者が急増している様に思われているのです。

 厚生労働省によりますと、『ことし9月の1か月間に全国で自殺した女性は640人で4か月連続で去年の同じ時期を上回った一方、20代から50代の男性も705人と去年を56人、率にして8.6%上回りました。8月に自殺した同じ年代の男性は706人で去年を6.6%上回っていましたが、1か月間でさらに2ポイント悪化しています。』と報告しています。

 私の入った学校で、新学期早々に、「宿泊合宿」がありました。これからの4年間の学生生活へのオリエンテーションのたのためだったのです。それが終わってから、一緒に行った同じ学科の茨城県笠間から来ていた女学生が、自殺してしまったのです。これから始まろうとしていた矢先の同級生の死は、衝撃的でした。理由は知りませんでしたが、残念な思いをしたのです。

 儒教の影響の強い精神風土の国だけではなく、社会が強く自由を蝕む様な圧力を持っていたりすると、悲観や諦めが先走りして、自死を選ぶことが考えられますが、個人的な内面の問題は、世界的に見て深いのかも知れません。8月から9月の自殺傾向について、自殺の防止に取り組むNPO法人「ライフリンク」の清水康之代表は次の様に言っています。『新型コロナウイルスの影響で非正規で働く人や自営業者を中心に働き盛りの男性が追い詰められている。雇用を守る政策を続けていくことが必要だ。』としています。

 ユダヤの古典に、一人の自殺者が登場しています。『当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はみな、ダビデにもアブシャロムにもそのように思われた。』と記されている、アヒトヘルが、その人です。ダビデの内閣の主要な人物で、知恵者でしたが、自死してしまいます。その理由を次の様に記しています。

 『アヒトフェルは、自分のはかりごとが行われないのを見て、ろばに鞍を置き、自分の町の家に帰って行き、家を整理して、首をくくって死に、彼の父の墓に葬られた。』、とです。自分の進言が拒まれた時、その屈辱体験を超えられなくて死を選んだのです。こういう場面で、もし彼が自分の心の内を分かち合える、“ mentor/メンター、相談相手 “ がいたらよかったのにと、私は思ったのです。しかし、エルサレムにも故郷のギロにも、自分の心のうちを語れる友が、彼にはいませんでした。それが彼の悲劇だったかも知れません。

 傑出した能力の持ち主は、へりくだって人に相談することができないのかも知れません。〈恥の文化〉の中で、育った人は、屈辱は耐えられないのでしょう。高校生の時に、田宮虎彦の「足摺岬」を読みました。大学生の主人公が、肺を病んで悲観し、死場所を求めて、土佐高知の足摺岬にいきます。体調を崩した彼はやどをとります。そこで同宿のお遍路さんや旅の商人たちに介抱され、その宿の交わりを通して、自殺を思いとどまるのです。

 そう言えば、華南の街にいた時、私たちの事務所のあった建物の隣の建物の二十数階の家から、中学生が飛び降りて自殺をしてしまったのです。その直前、お母さんと激しくやりとりをした後のことでした。知り合いではなかったのですが、隣人の危機に何もできなかった無力さを覚えたことがありました。ナチスの収容所の中で、ユダヤ人たちが、『それでも人生にイエスと言おう!』と、劣悪と悲観と恐怖の中で告白し、歌ってていた人たちの言葉を、「夜と霧」の中で、フランクが記しています。

 私の愛読書には、『生きよ!』とあります。

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