助言者

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 『次の時代を担う者は、どうあるべきか?』について、イスラエル民族の歴史に残されている出来事を思い出しました。

 父親が召されて、王位を継承した新しい王のもとに、嘆願者たちがやって来たのです。父親の治世下では、税の取り立てが厳しかったので、生活が大変だったのです。そこで、『ご子息だったら、厳しい取り立てはなさらなうだろう!』と期待してやって来たわけです。

 その王宮に、父親に仕えていた年配の長老たちが残されていました。この若い王は、この父の長老たちに、『民の訴えをどうしたら好いだろうか?』と相談しました。そうすると、父に仕えた長老たちは、『民に、親切な言葉をかけてやったら、彼らは、いつまでもあなたの僕になるでしょう!』と勧めたのです。

 ところが、父の長老たちに相談したまでは好かったのですが、すでに自分では、どう答えるかを決めていたのでしょう。自分の期待した答えが、長老たちから返って来なかったので、その進言を退けて、聞かなかったのです。『どうしたら好いでしょうか?』と聞いてくる人は、相談ではなく、自分の決めたことに、<同意してくれること>を願ってやって来る事例が多い様です。それは、到底、相談とは言えません。

 それで、若い王は、子どもの頃から、一緒に育った若者たち、つまり「ご学友たち」に相談、いいえ、同意を得ようとしました。案の定、若者たちは、『厳しく取り立ててください!』と言います。そして、『この民には、「私の小指は父の腰よりも太い、」、「父よりも、さらに重税を課そう。私の父は、お前たちを鞭で懲らしめたが、私は蠍(さそり)で懲らしめよう!」と言ってくだい!』と言ったのです。

 同意を得た、この若き王は、その通り、民に告げました。若者たちは、若き王、二代目に、《ヨイショ》をしたわけです。『ノー!』と言う勇気のない者は、「助言者」にはなれません。

次代を担う指導者が、その責任を果たすために、天は、長く経験を積んだ長老たちを、その人のそばに置かれます。その年配者の経験や知恵の中からなされる、忠告や進言に、耳を傾けて、正しく責務を果たさせるためです。歴史の中で、その時代の必要に、十二分に届いた為政者、行政者、社長、会長のもとには、「よき参謀」がいました、”No 2(ナンバーツー)”に徹して、主君、社長に仕えた《番頭さん》がいたのです。それゆえ、その指導者が、つつがなく責務を果たし、名君、名社長として名を残すことができたのです。

 多くの人は、『自分に実力や能力が備わっているから!』とか、『私だけが適任者だ!』、『俺がいなければ、この国、(会社、共同体、この部署)は駄目になってしまう!』と勘違いしています。いつでも責務を引き継げる《第二世代》、《後継者》が、育ち、整えられ、備えられているのです。後継者がいなくて駄目になるにではなく、後継者が驕り高ぶったので、崩壊してしまったのです。いつでも、責務を引き継げる人がおります。

 会社も、商店も、共同体も、官庁も、何処でも、《後継者問題》を抱えています。案ずるなかれ、『その人がどきさえすれば(居なくなれば)、そのポストを担う人が出て来て、さらに勝った務めを果たすことができる!』、これが歴史が証していることです。

 後継者は、自分と務めで、益を被る人と、その人の家族や子弟のために励まねばなりません。また、その務めを後継する、「第三代目」の鑑になるように、責任を行うのです。賢い「番頭(ばんとう)」を持った主人の店が栄えた様に、内閣も、学校も学校も同じで、公義に立つ助言者を持つ指導者は栄え、名を残すのです。

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