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以前のブログを見ていて、一葉の写真を見つけました。天津の外国人用の「公寓(gongyu)/アパート)」の七階のベランダの窓を開けて、私が撮影したものです。いやー懐かしくて堪りません。そこから自転車で、紫金山路を、気象台の方に向かって走った所にあった、中国語学校まで、家内と並走しながら、週日5日間、通ったのです。
学校の帰り道は、復習で、道行く人に話しかけては、その日習ったことを使うのです。けっこう勇気がいることでしたが、おかしな中国語を使う老人の夫婦に、受け答えをしてくれました。それから「菜市场caishichang」で食材を買って帰ったのです。習いたての中国語を駆使して、ここでも復習をしたのです。
お陰様で、日常会話ができる様になって、知人の招きで華南に越したのです。その街中は、方言の世界でした。標準語を話すと、『北京語ですね! 』と言われて、ちょっと得意になってしまいました。日曜日の朝は、いくつもの通りを越えて、自転車で出掛けたのです。その目的場所も、中国語の歌を歌ったり、標準語の話を聞いたりし、 出店したばかりの「吉野家」などで昼食をとったのです。
でもベランダから眺めた大陸の落日が、実に荘厳でした。日が落ち切るまで眺めていました。あの頃一緒に学んだ同級生や上級生は、今どうしているのでしょうか。私たちも、病気治療で帰国しているのですが、多くは、同じ様に、それぞれの国に帰ってしまったことでしょう。その学校の担任教師のお父さんが作ってくれたおかずをもらったことも何度もありました。そういえば、直接お礼を言わないで、越してしまったのです。
その教師が華南の家を訪ねて来てくれた事がありました。今、どうされておいででしょうか。懐かしい日々と人との出会いが思い出されてまいります。
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