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父がテレビを買ったのが、上の兄がテレビに出るという話が持ち上がった時でした。運動部の日本選手権に、スタメンとして登場した時です。父の長兄への思いは、高価なテレビを買わせるほどだったのです。
テレビと言えば、「プロレス中継(日本テレビ」、「月光仮面(KRテレビ)」、「日真名氏飛び出す(ラジオ東京テレビ/現TBS)」などが、初期の番組でした。わが家にテレビが入り込んでしまってから、その面白さの虜に、自分がなってしまいました。
長いテレビ観劇史の中で、最も印象的だったのが、1963年にアメリカで放映されたもので、日本語吹き替え版の放映だった、「逃亡者」でした。1964年5月16日から1967年9月2日まで、土曜日の午後8時の時間帯で、TBSで放映され、大変高い視聴率をあげた番組でした。その映画のあらすじは、次の様でした。
「インディアナ州スタッフォード(小説上の街)の小児科医リチャード・キンブルは、妻ヘレンと口論し家を飛び出すが、帰ってみると彼女は殺害されていた。その直前、彼は片腕の男が家から飛び出すのを目撃したが、警察はキンブルを犯人として逮捕する。彼は裁判で有罪となり、第一級殺人で死刑を宣告される。キンブルは、スタッフォード警察のジェラード警部に護送され、鉄道で州刑務所の死刑執行室に向かうが、列車が脱線事故を起こした際の混乱に紛れ、逃走に成功する。全国に指名手配されるが、キンブルは半白だった髪を黒く染め、名前を変え、場所を移動し、さまざまな労働に就きながら、真犯人と思われる片腕の男を探し求める。そんなキンブルを、ジェラード警部は執拗に追跡する。」
登場人物の中に、朝鮮戦争で、英勇的な武勲をあげたことで、勲章をもらった男がいました。街の英雄でした。そんな彼は、友人の妻の殺害現場にいながら、犯人を目撃しながらも、英雄的行動に出られず、尻込みして、友人の妻のヘレンを助けられなかったのです。
自分の卑怯な振る舞いを隠し通すために、真犯人の目撃証言が、法廷できず、医師キンブルが犯人とされ、死刑判決が決まってしまうのです。小心者なのに、恐怖の中で夢中になって戦闘をして武勲をあげたことが、英雄的行為となってしまったのです。親戚や街の人たちに、もてはやされた英雄なのに、友人の妻を助けられないほどの臆病者であったことが、暴露されたくないという、心理が描かれていました。
当時は、ベトナム戦争の渦中でした。ベトナムのデルタの密林でも、泥沼の様な戦闘が繰り広げられていたのです。同世代の若いアメリカ兵が、ゲリラ攻撃に怯えていました。 同じ様な悲劇が東南アジアで繰り広げられていましたから、共感するものがあったのです。
最後に、真犯人が、ジェラード警部に射殺され、5年前に証言できなかった男が、再審の法廷で、キンブルの無実を証言して、ハッピーエンドでした。スリリングで、逃亡者の心理が上手に演じられていて、主演のデビッド・ジャンセンは、当時、このテレビ映画によって人気俳優でした。なお追跡者のジェラード警部の共演が、輝いていたのです。
誰にも追われず、父の家から学校に、自分が通っていた時のテレビ番組でした。自分の境遇が、どんなに恵まれているかが、キンブル医師の逃亡生活を見ながら、分かったのです。
(インディアナ州の州の「牡丹」です)
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