赦し

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「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」、「江戸の仇を長崎で」、「恨み骨髄に至る」、人の感情の中で、過去の仕打ち、近親者への不正や騙しなどでもたらされる、「恨み」の及ぼす影響力は大きく、人の折角の一生にとって、ずいぶんとマイナスになっているのです。

幸い、自分は、加害者で恨みを買われても、被害者で恨みを被っても、一晩寝て仕舞えば、忘れることができて、けっこう都合よく生きてこれたかなと思ってしまいます。傷ついた人には、迷惑な話でしょうか。

同じ「うらみ」を表す漢字に、「恨み」、「怨み」や「憾み」があります。

“ 漢字の使い方ものしり辞典 (宇野義方監修・大和出版刊)”には、

○「恨み」
<人や物・状態を、憎いと感じる心理>をいいます。その動詞が「恨む」で、「人を恨む/金を恨む/相手のやり方に恨みを懐く/恨み続けて20年」などと使います。【「恨」 漢語辞典には、「hèn ①怨,仇视:怨~。愤~。仇~。痛~。② 为做不到或做不好而内心不安:~事。悔~。遗~。抱~终天。]☞これはブロガーが付け加えています】

○「怨み」
「怨念(おんねん)」などと使われるように、<自分に対して害を及ぼした人間への強い憎しみ>を表し、
「怨み言を言い続ける/恩も怨みも忘れて再出発する」などと使いわれますが、現在では「恨み」と代用表記されています。【「怨」漢語辞典には、[発音yuàn ①仇恨:~恨。恩~。宿~。~仇。~敌。~府(大家怨恨的对象)。~声载道。②不满意,责备:埋(mán )~。抱~。~言。任劳任~]ー】

○「憾み」
<思ったとおりにならず残念だ・・・・・・>の意を表します。
「今回の人事には公平を欠く憾みがある/表現しつくせなかった憾みが残る」などで、謝罪会見などでよく耳にする「遺憾(いかん)に存じます」(残念に思います)の「憾」です。
「遺憾」の「遺」は「のこる」だから、「憾み」が「遺(のこ)る」で、「残念に思う」という意味になるわけです。【「憾」 漢和辞典には、[hàn ①失望,心中感到不满足:遗~。缺~。~事。~恨。抱~终生。②怨恨:私~。“请君释~于宋”]】

最も強烈な「うらみ」は、「怨み」の様です。朝鮮語の「恨han」は、日本語と、日本人の理解とはだいぶ違います。そこで、“ SAPIO ” に次の様な記事がありましたの で、ご紹介します。

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 個々の人間が育った環境や受けた教育によって個性の違いが生まれるように、民族にもそういう個性の違いはある。
 そして韓国人に最も顕著な、他の民族にはあまりない特徴といえばやはり「恨(ハン)」の精神であろう。
 日本でも同じ漢字を使った「恨(うら)み」という言葉があるが、「恨(ハン)」と「恨(うら)み」は似て非なるもの、いや全く違うものと考えた方がいいのかもしれない。
 この「恨(ハン)」という言葉を一言で説明するのは非常に難しいので、韓国の歴史に沿って説明しよう。韓国というより朝鮮半島の国家と言った方が正確だが、これは新羅にせよ高麗にせよ大変に「辛い」国家であった。中国という超大国がすぐ北側に存在し、隙あらば朝鮮半島の国家を隷属させ中華文明に呑み込もうとしていたからである。
 古代において、百済や高句麗というライバルを圧倒し、初めて朝鮮半島に統一国家を打ち立てた新羅が選んだのは、中国大陸の国家に政治的には屈辱的な服従をする代わりに、直接の統治は免れて民族としてのアイデンティティーをかろうじて保つという方法であった。具体的に言えば、朝鮮半島の国家の首長である国王は常に中国大陸の国家の首長である皇帝の家臣という形をとったということだ。朝鮮半島の歴史は「中国をご主人様とする」歴史だったのである。
 もちろんそれに対しては強い不満も激しい怒りもくすぶっていたに違いないが、中国という巨大な軍事国家の前では、それを現実に解消する事は不可能であった。だからこそ、それを封じ込めて、逆に生きるエネルギーに変換させようとした。
 国内においても国王や貴族など上流階級は徹底的に庶民を絞りあげた。圧政に苦しんだ庶民も、やり場のない怒りをそうした生きるエネルギーに変換させるしかなかった。
 このような「恨み辛みや不満を、生きるエネルギーに転換した状態」を「恨(ハン)」という。
 理不尽な支配や暴力に対する怒り、あるいは恨みといったものは、確かに人間のエネルギーの源になる事は事実である。しかしそれを活用しようとすることは、長い目で見て決して有効なやり方とは言えない。なぜならそれは、憎悪という最も非理性的な感情を人間活動のモチベーションにするということだからだ。そういう人間は、いやその人間の集団である国家も必要以上に攻撃的になり非理性的にもなる。
※SAPIO2013年12月号

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菊池寛の作品に、「恩讐の彼方に」があります。江戸の仇を、豊前国の耶馬渓で、討とうとするのですが、中川実之助は、怨みを昇華して、親の仇、市九郎(了海)を赦してしまう物語があります。

こう言った話は例外にあるのですが、赦しは、仇を打とうとする人を《救うこと》になるのです。怨み骨髄で生きるより、「赦し(ゆるし)」を生きる方が好いに違いありません。

(秋の耶馬渓の様子です)

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