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『社会生活をしていく上で、《関係作り》が一番大切なのです!』と、これまで教えられ続け、それを実行して来たと言えるでしょうか。それと共に大切なのは、《関係の維持》への最大限の努力なのです。人には〈感情〉があって、けっこう簡単に感情が傷ついてしまったり、関係がもつれてしまったりすることが多いのです。悠長で忍耐深い方も時折おいでですが、一般的に人は〈傷つきやすい〉と言えるでしょうか。
一度、そうなってしまうと、回復するのが極めて難しいのです。だから《関係の維持》が求められるのでしょう。それまで、家族の様に近い関係にあったのに、手の裏を返す様に、捨て台詞で私に、踵(くびす)を返して、去っていってしまった方が何人かいました。どうしても言わなければならないことを、言った結果です。生き方や在り方に、〈甘え〉があったり、過去に〈傷〉があったりしたのでしょうか、ガラスの様でした。
小説や演劇の中だけではなく、現実の生活に中によくあることです。地理的にも心理的にも、遠くに行き過ぎて、願えども《関係回復》は不可能の様です。関係を壊すことは容易ですが、立て直すことは至難の技です。
国と国との間に、齟齬(そご)が生じて、過去が蒸返してしまい収拾がつかなくなってしまっています。お隣の韓国との関係です。同級生にも、友人にも韓国の方が何人もおいでです。彼らとは、実に素晴らしく良い関係があり、疎遠になった今でも、尊敬の念は変わりません。立派な方たちです。
人も国も、過去に思いを向け過ぎて、未来を見ようとしないのです。「覆水(ふくすい)盆に返らず」、こぼれて流れ出てしまった水を、もう一度器に返すことはできません。歴史の事実を変えることはできませんが、《詫びること》と《赦すこと》は、謙虚になり、冷静になれば相互にできます。
中国の生活の中で、中国の街中や公共バスの中で、喧嘩をしている人の間に立って、『算了算了suanlesuanle!』と言って仲裁している光景を何度か見たことがあります。『もうそれまでにしなさい!』という意味です。喧嘩の当事者には言えない言葉も、第三者には言える言葉です。
感情が亢進(こうしん)してしまうと、悲惨な結果を迎えてしまうので、仲立ちをする人が必要になってきます。酸いも甘いも噛み分けられる年配者が、そうされていました。そうすると感情が静まって、挙げた手を下すことができるのです。喧嘩をする本人たちは、仲裁者を待っているのです。『平和である様に!』です、ね。
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