「木鶏(もくけい)」と言う、中国に故事があります。その解説が、“ ウイキペディア ”に次の様にあります。
「紀悄子という鶏を育てる名人が登場し、王からの下問に答える形式で最強の鶏について説明する。紀悄子に鶏を預けた王は、十日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、 『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答える。
更に十日ほど経過して再度王が下問すると 『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』と答える。
更に十日経過したが、 『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答える。
さらに十日経過して王が下問すると 『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』 と答えた。
上記の故事で荘子は道に則した人物の隠喩(いんゆ)として木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしている。」
昭和の名横綱に、「双葉山」がいました。無敵の第35代の横綱は、69連勝をして、向かうところ敵なしの勢いでした。1936年の一月場所の二日目に、横綱武蔵山から金星を勝ち取ると、1939年の一月場所の四日目まで、連勝が続いていました。ところが、五日目に、前頭四枚目の安芸乃島との対戦で黒星を喫して、七十連勝が達成できなかったのです。
その時、知人に双葉山は電報を打っています。その電文が、「ワレイマダモッケイタリエズ(我、未だ木鶏たりえず)」だったそうです。連勝できずに負けてしまって、中国の古代の故事で言われた 「木鶏」の様に、不動不敗の最強の大横綱になっていないことを告白したのでしょう。お相撲さんが、力ばかりではなく、こんなに博識であったと言うことに驚かされてしまいます。
今回、日本オリンピック委員会会長に選任された山下泰裕氏が、まだ現役選手であった若い頃に、お父さんに言われた言葉がありました。『柔道ばかりで、他のことが分からない者であってはいけない!』とです。その言葉を実践したのでしょう、母校の東海大学の教授になり、今回会長になったのです。
山下会長は、62歳で、「木鶏」となったのでしょうか。いえ謙遜な人ですから、まだ精進の道の途上にある自分を見つめていることでしょう。
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