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父が、その友人に薦められて、私立中学に進学する事になりました。小6の冬の事、東京の会社から帰ってきた父が、突然、『準、黎明中学に行け!』と言ったのです。それを聞いた素直な私は、すぐに受験準備の勉強を始めました。同じ私立中学校の女子部に行く同級生がいて、たった二人が、同じ町立小から私立に進学したのです。父の期待に応えて合格して、その4月1日に入学式がありました。
その学校には、軍隊で歌われていた替え歌があって、"ボクはレイメイの一年生 、紺の制服よく似合う”と歌う歌を、上級生に教わった様に、《紺色の蛇腹の制服》でした。旧海軍の軍服、あの<学習院>の物にも似ていました。町立中学は、ボタン式の《学ラン》だったのに、ちょっと目立ってしまったのです。
今日は、六月一日、「衣替え」の日です。あの頃、この日を迎えて、夏用の制服に着替えたのです。冬用と同じ形で、灰色の生地の制服でした。その中学校は、幼稚園から小学校もあって、医者や市長や社長や大きな商店主の子どもが、学内入学で通っていました。まさに"お坊ちゃま"の集団の中に入ってしまった様で、ちょっと浮いていた感じもあり、窮屈だったのです。父の趣味に従った結果でした。
その「衣替え」について、"暮らしの歳時記"に、次の様にありました。『中国の宮廷で、旧暦の4月1日と10月1日に夏服と冬服を入れ替えていたことから始まった習慣です。日本へは、平安時代頃に伝わり、室町時代から江戸時代にかけて、四季に合わせて式服を替える習慣が定着しました。当初は、貴族社会だけの習慣で、年に2回、夏装束と冬装束に替えるだけでしたが、江戸時代の武家社会では年に4回になり、期間も着るものもそれぞれ定められていました。』
都立に行く事も考えていたのですが、担任の強い薦めがあって、学内進学で、中高6年間、そこに通ったのです。"都立、公立古くさい どうせ行くならレイメイに レイメイ健児は色男 一度は惚れてみたいもの"、これも替え歌の一節で、バスケット部の上級生に仕込まれました。あの頃の"男女別学"が、時勢に押されたのでしょうか、今では共学になってしまったそうで、汗で男臭い教室で、ギスギスしていたのが、今では"華やいで"いるのが羨ましいのです。
"色男(もう今では、そんな事言わず"イケメン"ですが、中国語では"帅shuai"です)"の"レイメイ健児"も、もう過ぎ去った日々を、アレヤコレヤと思い出す"老ぼれ"になってしまいました。 "男女交際禁止"で通学路で会っても、『女子部の学生に話しかけてはいけない!』との校則が、強要されていた時代でした。でも、”レイメイ小"の同級生と結婚したのが何人かいましたから、校則厳守は徹底されてなかった様です。"ああ我が青春の日々よ"、です。
(夜明け、朝焼けの「黎明」です)
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